ドイツ作家による特殊能力系作品について(04年10月24日)

 パトリック・ジュースキントの「香水」。誰だっけ?の「眠りの兄弟」。ゲルハルト・ケェプフの「ふくろうの眼」。ギュンター・グラスの「ブリキの太鼓」(これはまだ読んでない)。ドイツ作家にはこれでもかというくらい「特殊能力系」の作品が多い。

 「香水」は、ある、恐ろしく鼻の利く少年が香水作りをして、果ては「最高の香水」を創るに至るお話。「眠りの兄弟」は、ある、恐ろしく耳の利く少年が「究極の音楽」をつくるお話。「ふくろうの眼」は、手紙の中身を見通す力のある郵便配達夫が語る、様々な手紙のお話。それぞれの主人公は、感覚が常人に比べ異常に発達しており、「畸形」の域に達している(「ふくろうの眼」の彼は主人公というより語り部の位置に居るけれども)

 単純にこれを「ドイツ的な・・」云々という議論に発展させたくはないけれど、こうも立て続けに「特殊能力系」を読んでしまうと、自分の中で何らかの説明を試みたくなるのです。

 特に「香水」と「眠りの兄弟」に絞って考えてみよう。

 少なくとも、視点移動の効果はある(「我輩は猫」や、もっと直接言うなら「変身」)。それぞれに扱うテーマは違えども、 鼻の利く少年、耳の利く少年をどっかりと話の中心に据えることで、読む人は彼らの"特殊な"視点から出来事を捉える。言語というのは、小説というのは偉大なもので、現実では不可能に見える事も簡単に可能にしてしまう。その「神の耳を持つ少年」は、未だ生まれない運命の恋人の心臓の鼓動を聞き分けることが出来る。そんなんできる訳あらへんやんかぁ・・・でも小説世界ではそれが可能。

 人間の想像力というのはさらに偉大で、そんな不可能な可能性を想像することが出来る点。また、その想像した可能性を現実に投影出来る点。極端に言えば、きみは「眠りの少年」を読んだ後、海の向こうで静かに眠っている恋人の寝息を聞くことが出来る。窓を開ければ、お風呂上りの○美さん(仮)・25歳・趣味は切手収集 の匂いを嗅ぎ分けることが出来る。

 テーマはともかく、上記2作品は「感覚を想像することを直接的に訴えかける」。

 もうひとつ、メモしておきたいのは、ベタな構図ではあるけれど、デカルト的「合理的精神」との対比。(「オルテガ」の最初の方、あと「バタイユ」読むべし)
しかしこれについては余り書くことができません。今のところ。

 「香水」と「眠りの兄弟」おもしろかったので、「ブリキの太鼓」かなり期待してます。ちょっと長いけどね。しかし最近ドラムをめっきり叩いてないなぁ・・・