ラテンアメリカでお薦めしたいようなバンド・アーティスト

誰かがどこかで「所得申請は"ミュージシャン"でやるより"アーティスト"でやる方が税金が安くなる」と言ってたけど、本当だろうか?

フェルナンド・デルガディージョ(Fernando Delgadillo)

メキシコのアーティスト。基本的にアコギ・ガットギターのアルペジオにあわせて、いろんな意味で「メキシコ的」にアブストラクトな詩を散りばめる。CDはもう10枚くらい出してるんじゃないだろうか?

*曲・楽器
ギターがめちゃめちゃうまい。曲調は、クラシカルなコードをベースにJazzやらメキシコ的な音調やらをうまく混ぜ込んでいるという感じ。多分本人は「メキシコ」という概念を深く認識していて、そこから外に出て行くもの、中に向かうものをFernando Delgadilloというひとつの人格にうまく調和させているのだと思う。「調和」というのは、彼を表すキーワードのひとつだと思う。もうひとつは「至高性」。例えばサザンオールスターズが時々やるように、人間の放埓な部分に焦点を合わせた曲も歌うけれど、それもあくまで「調和」の中に管理された奔放性のように聞こえる。

*詩
やはり「調和」と「至高性」がキーワード。テーマが台所であれ国民であれ愛であれ、そこから何か崇高なもの(ノスタルジーもそこには含まれるかもしれない・・)を感じ取り、比喩を用いながら歌い上げる。ぼくはスペイン語圏の文化を知り尽くしているわけじゃないけれど、彼が好んで用いる比喩は凄くメキシコ的なように感じてしまうのは、それがJaime Sabinesが使うものと似ているからかもしれない。つまり、ある事物に対する比喩のトンネルは常に自然につながっている。メキシコ的な自然。ケーナのような管楽器を使い先住民族が使いそうな音階を使う向こう側に、メキシコ的な自然が垣間見える。

*全体的に・・・
だからといって彼をメキシコ的なものの代表として、ヨーロッパ的なものと対立させようとは思わない。むしろ、彼はメキシコ的というには余りに洗練され過ぎているところがある。まとめるなら、「スペインとアメリカの影響を常に受けつづけているメキシコという構図の中で、誰もが陥りがちな「メキシコ対誰彼」という方程式を採用せず、極めて有機的にメキシコを洗練された形で再構築することに成功した」アーティスト、か。ううむ誉めすぎやなぁ。でも実際、すごい良いぞ。 買うとすれば2枚組のライブ音源がいい。

*ヘビーローテーション
 A la piramide de sol
 Hoy hace buen tiempo
 Julieta

Wikipediaでの解説(スペイン語)

オフィシャルサイト(スペイン語)

ユーチューブ

 

アルボル(Arbol)

アルゼンチンのバンド。パンク?ロック?ポップ?ハードコア?よくわからん。でも緩急の絶妙なコンビネーションと、多才なメンバーによる多彩な味付けが最高。詩も良い。多分、今一番聴いてるバンドやわ。ちなみに、Arbolというのはスペインゴで「木」の意味です。(正直、バンドの名前としては、カッコ悪い部類に入ると思う)

*曲・楽器
 基本はバンド形態(ギター・ベース・ドラム)たまに遊びでバイオリンとか、ピアニカとか、トランペットとか入ったりする。ボーカルは基本はツインボーカルやけど曲に応じて他のメンバーも参加。曲調は本当に多彩で、ベタなメロコア調の曲もあれば、バラードからいきなりハードコアに入ってまた出て入ったりする曲もあるし、いろいろ。やりたいこと、全部バンドに詰め込んでるって感じやな。最近のほりうち氏用語で言えば「大きな笑い」「哄笑」というのがぴったり当てはまるバンド。悲劇的に落ち込まず、コミックバンドに成り下がらず、あくまで気概を保ちながらチャーミングに振舞うという感じ。なんかようわからんか・・・

*詩
 若者青春パンクロック/ポップにありがちな甘ったるい、青臭い歌詞が無いのがいい。なんていうかな、ブルーハーツからハイロウズへの変遷というか、人生の修羅場をひととおりくぐった男が西日の差すドライブインで冷えたビール飲みながら書いた歌詞のような気がする。この前マネージャーに許可ももらったので、今度彼らの歌詞翻訳してみますね。(注;今度、というのは、かなーり遠い未来の話になる可能性があります)

El fantasmaの歌詞

・・・・はい。適当に、後ろの方はもっと適当に、訳しました。でも雰囲気はこんなんでええんちゃう?

訳しながら、10回くらいヘビーローテーションで聴いてしもた・・何がいいって、この歌はメキシコの死者の日に恋人に贈る詩にとても近いものがあるから。つまり、死が湿り気を帯びていないのです(あ、最後に泣いてるから、ちょっと湿ってるか。)いい悪いの問題ではなく、ぼくの限りなく主観的な地点からみて、この乾いた死の感覚はぼくの現実感覚にいちばん近いのです。これは日本にもドイツにも無いと思う(日本なら、死は『たとえばぼくが死んだら』やし、ドイツやったらグリューネマイヤーの『der Weg』やし(注;彼が妻と子を交通事故で亡くした時に書いた歌)かなり湿ってる・・・)メキシコは・・El reyという名曲があるぞ。

ぼくは外れ者、そんな事わかってる
でもぼくが死んだら、きみは泣くって知ってるよ
ぼくの事なんて嫌いって言ってたけど、きみは悲しくなって
そのままずっと悲しいままだよ

・・・と、ここまで歌詞を見る限りでは湿っぽいけど(曲を聴けば、カラカラに乾いてる曲であることは歴然)で、サビの部分が続く。

金があっても、金が無くても
ぼくの言葉はぼくの掟
王座も妃もなく、誰もぼくをわかっちゃくれないけど
ぼくは王様であり続けるんだ

ダメだ・・・緊張感のカケラも無いわ・・・ もとい。多分ぼくはこれについていろんな所で50回くらい言ってるけど、つまりメキシコの(そして多分アルゼンチンの)死は、乾いてる。そしてそれはぼくに一番しっくりくる。はぁ・・・やっぱりラテンアメリカ移住、真剣に考えんと・・・

 

*全体的に
 こういう事をやってるバンドってぼくは今のところArbol以外に聴いたことない。当然、アルゼンチン/ラテンアメリカの大御所であり続けたLos fabulosos cadillacsの影響はあるだろうし、この手のバンドはどんな形であれ彼らを通過しなきゃならないんだろうけど(3ピースでポップパンクやるならハイスタを通過しなければならないように)ユニークだし、ユニークでありつづけるユニークさであると思う。CD4枚くらい出てるけど、「Chapusongs」は絶対に買いやな。「Guau」も良いけど。ていうかその2枚しか聴いた事ないけど。また、オフィシャルサイトからArbolのマネージャーにメールを書くと返事がきます。もちろんスペインゴで書けば、の話ですが。

ユーチューブ−あぁでも下の曲は音楽的には一般的かも。上でいろいろ書いた割には、お気に入りはオーソドックスなコード進行のモノやったりするねー。
Ya lo sabemos

La vida

De arriba de abajo

El fantasma

Wikipediaでの解説(スペイン語)

オフィシャルサイト(スペイン語)

 

ユカタンアゴーゴー(Yucatan a go-go)

メキシコの若者バンド。曲調はかなりガレージパンクやし、歌詞も(考えて書いてるとすれば、かなり)高等な内容なんやけど、メキシコではなぜか「子供向け音楽」として紹介されてる・・・

*曲・楽器
 バンド編成はギター・ドラム・ベースのみのシンプル構造。ガレージロック調で、いろいろやろうとしてるんやけど若さもありーのでたまに足並みがバラつくのが微笑ましい。ボーカルは絶対Cafe Tacubaを意識してる・・気がする。 悲劇的な要素はカケラも無いな。コミックバンドって言えばそうなのかも。ポップセンスは抜群やと思うよ。

*詩
 詩について特筆すべきは「Cancion basura」と「Se comio」だけ。この詩は、意識して書いてるとすれば、メタ構造をうまく使った佳作だと言わざるを得ない。(この詩の翻訳もやりたいのだけれど、今度ね。注;今度、というのは・・・以下同文)

*全体的に
 アタマで聴く音楽じゃないし、友達と夏休みに海に行く車の中で聴けばよろしい的な音楽やと思う。特に「La playa」は最高。この一曲だけでもいいわ。


解説サイト(スペイン語)試聴可

ユーチューブ

La playa

Cancion basura