Aにお手紙。

05年12月11日  

この気持ちをどのように説明していいのかわからない。昨日から、元カノがぼくの引越し手伝いに来ていた。昨日までは何事もなく、楽しくやれていた。今日になってから3回もケンカに発展した。今、まだ引越しが残っているのだけれど、この気持ちを書かずにいられない。「なぜ人は、こうも理解し合えないのだろう?」  敵意、敵意、敵意。ぼくは時に敵意に満ちる。そうなれば議論はもう議論では無く、ただこの黒い感情に任せるままに相手にぶつける、攻撃的な言葉の応酬に変わってしまう。理論も理屈も事実も消し飛んでしまう。

元々、一対一のコミュニケーションの間に(本質的には)善悪の入り込む余地は無いと思う。ぼくはそう思い込めるくらいに客観的であると信じてる。しかしその信念そのものが、既に主観的で、傲慢であるとすれば・・?ぼくはわからなくなる。

最終的には人は主観的で傲慢である自己を認めなければやってられないとも思う。その開き直りは火に油を注ぐ。

最後にぼくは哀しくなる。喪失感。ぼくは共感を失ってしまった。「優しい深い感情」はどこにも見当たらない。ぼくは理解されないし、ぼくは人を理解できない。ぼくは一人ぼっちだ。ぼくは、黒い感情など露とも感じないきみとの対話が恋しくなる。

二人の関係が時間の継続に挟まった瞬間から、時間は関係性を食い荒らしはじめる、徐々に、しかし確実に。何かが徐々に、確実に損なわれていき、ふと気づいたときには自分は黒い感情に支配されてしまっている――きみとの関係を柔らかい感情で満たしたいと思っているにもかかわらず。多分その間違いは、関係性が記憶を頼りにし始める瞬間からはじまる。記憶は、過去にありもしなかった(かもしれない)プラトン的な合一状態の幻影をぼくに見せる。それを見ながら、ぼくは思う――あの時ぼくらがひとつだったのに、今ひとつになれないのは、きみがきみの形を変え始めたからだ。もう一度ひとつになるには、きみはもとに戻らなくちゃならない。そしてきみもまた同じ事を思う。人は本能的に自分が好きな相手の姿のみを欲しがる。

どうやればここから抜け出せるのだろう?