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 時間は、感情を風化させもするし、醗酵させもする。ぼくは、きみと最後に会った時のことを、もう3年も4年も前の事のように感じてしまう。それくらい、ぼくは物理的にきみから遠いところに居るのだと感じる。
  夜という時間は、きみに向かう手紙に、口語体を使わせてはくれない。ぼくはこの文章に堅苦しいイメージを付け加えたくはない、でも、何か真面目なことを言おうとするのは決まって夜になってからで、そんな夜は決まってきみに手紙を書くことになる。

  今週のアタマからぼくは風邪をひいていて、木曜日は半日で帰り、金曜日(今日)も会社を休んだ。身体のどこかが故障すると、とたんにネガティブに、悲観的になってしまうのはぼくのとても悪い癖なのだけれど、最近それがひどくなってるような気がする。ストレスに対する抵抗力が弱くなってるのかな?とにかく、土曜と日曜は、家でゆっくりしながら、やりかけの仕事を片付けようと思う。

  きみはどんな生活を送ってるんだろうか?プーケットからの葉書、ありがとう。そうやね、来年はどこかで一緒にリゾートしたいね。そういえばアジア方面って行ったことなかったわ・・・シンガポールは、絶対行かんとあかんねん。うちの会社で、ずっとイギリスに赴任してたシンガポール人のヒトが最近帰任したんやけど、この人はすごい魅力的な人で、ぼくが東京で働き始めたときもすごいお世話になってん。だから会いに行かんとあかんねん。多分、きみもきっと気にいるよ。

  本題。何回もきみに手紙を書きかけて、途中で止まって、きみに渡すに至らなかった言葉の群れがたくさんある。それをふと見つけたときに、ぼくはその時ぼくにそんな手紙を書こうと思い立たせた、その衝動の起源を殆ど忘れているかもしれない。例えばそれは、今日と同じような夜に、きみに電話をかけて、つながらなくて、やるせない気分になっている時だったかもしれない。静かに雪が降る夜に、新宿駅の夜行バスターミナルで最後に触れた唇を思い出す時かもしれない。きみがどこに居ようと、誰とどんな関係にあろうと、ぼくのこころがいつもきみと共有したほんのわずかな時間の断片に立ち戻り、反芻する、それはきみという存在がぼくにとって重大な事件だったということ、そして今もまだそれは事件でありつづけるということなんだと思う。ぼくの記憶中枢に残るきみのイメージは、いつも致死的な交通事故の瞬間にぼくがみる白黒の、コントラストのはっきりしたスローモーションでありつづけるのだろうと思う。

  4月には、久しぶりに、きみに会える。ぼくはようやく、何年もの紆余曲折を経て、やっときみの重大性を上手く捉えることができるのかもしれないと感じてる(それは、「きみを捉える」という事とはまた少し別の事かもしれない。ぼくにおける、きみの重大性は、ぼくの内的な問題だから。)ぼくときみの21年や、23年や、25年ではうまく調律できなかったものが、27年ではどうなるだろうか?ぼくはそれがとても楽しみで、きみに会えるのを本当に心待ちにしている。

  たくさん、話しよう。ぼくらに忠実な言葉だけで。