戦後のシュルレアリスムについて
 さらに多くの戦後世代のシュルレアリスム運動への参加が見られたが、彼らは(メキシコの詩人オクタビオ・パスを例外として)大きく成長することができなかったとしていいと思う。・・・略・・・バタイユ、アルトーは、50年代にも60年代にも一つのひりひりする火傷のような問題であり、刺激でありつづけたのである。50年代後半になると、レヴィ=ストロース、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、アルチュセールなどのいわゆる構造主義者が出てきて、サルトルをさえたじろがせ、サルトルらは、構造主義者はブルジョア階級の最後のあがきであるかのように反撃したが、とまれ戦後のシュルレアリストたちは、あまりにも自らの紋切型のシュルレアリスム(愛、ユーモア、反抗、自由、etc)の内部に閉ざされて、自家中毒を起こし続けていたように思われてならない。