聖ホアン・デ・ラ・クルスについて

「シュルレアリスムには深く宗教的なものがある。たとえば聖ホアン・デ・ラ・クルスと一緒にしても、シュルレアリスムは変わらないと思う。・・・私はダダであって同時に聖ホアン・デ・ラ・クルスの伝記に感動する」「聖ホアン・デ・ラ・クルスは憤怒の人であり、シュルレアリスムの本質と共通する。今あるがままの人生に対する憤怒である」

 聖ホアン・デ・ラ・クルスは、アビラのテレサと出会い、ともにカルメル会改革をめざし、1568年、十字架のヨハネと改名し、カルメル会緩和派からつよい非難攻撃をうけた。セゴビアその他の修道院長となり、改革カルメル会との見解の相違からウベダに追放されて死んだ。