レヴィ=ストロース『野生の思考』
 未開人(ソオヴァージュ)が<複合的認識>(コネサンス・コンプレクス)をわがものとし、分析や論証の能力をもつ、ということは、サルトルにはがまんできないことに思われるのだ。・・・・アンブリム島の現地人は、調査に来たレヴィ=ブリュールに対して、婚姻の規則や親族関係がどのように機能するかを、砂の上に線図を描いて説明して見せたのである。・・・・サルトルはこのことについて次のように断言する。<この構築(コンストリュクシオン)が思考でないということは言うまでも無いことである。すなわち、それは綜合的認識(コネサンス・サンテティク)に規制される手作業であり、その手作業は綜合的認識を表現するものではない>。よろしい。しかしそれならば、理工科大学の教授が、黒板でする証明についても同じように言われなければならない。弁証法的理解のできる民族誌学者の誰もが、この二つのケースは全く同じであると、心から確信しているのである。

 マルクスとフロイトは、人間は意味の観点に身を置く以外は意味が無いということをわれわれに教えた。そこまではわれわれはサルトルと意見が一致している。しかし、その意味はいつも正しいということはないce sens n’est jamais le bon)、ということを付け加える必要がある。上部構造とはいろいろな失錯行為(actes manques)が社会的に<成功>したものである。したがって、歴史意識の目から見てもっとも真実な意味を調査し問い合わせることは空しいことである。

オクタビオ・パス『クロード・レヴィ=ストロース』(鼓 直、木村 榮一訳)
「隠されているもの、目には見えない地層こそが表層的なものを規定し、それに意味を与えている<構造>であることを、(地層の)縦断面がはっきり物語っている。地質学のこの直感的な発見に、その後、マルクシズム(社会の地質学)の教えと、精神分析(精神の地質学)の教えが付け加えられた」
「マルクスとフロイトと地質学は、隠されたものによって目に見えるものを解釈することを、つまり感覚的なものと理性的なものとの関係を探求することを彼に教えたのだ」