ほりうち氏のおもうことvol.2 『誘惑と恋愛ゲームについてさらに考え込む。』

06年5月15日

 ずっと昔に、「恋愛の"駆け引き"が、恋する者の目を曇らせ、正常な判断を難しくさせる。ならば、"駆け引き"を放棄すればいい」と考えてたけど、どうやら駆け引きを放棄するというのは大変難しいことらしい。なぜなら、駆け引きは恋愛の一要素ではなく、恋愛のコミュニケーションが必然的に連れてくるものだからだーもちろん、それは時間的持続性を導入する時のみ。

 話は前後するけど、恋愛には2つのdimensionがあると思う。

@加熱/加速するコミュニケーションとしての恋愛

Aエクスタシーとしての恋愛

 @は、愛し合う2人の間で交わされる、果てしないお喋り。この次元では、2人は時間と空間と語用論的意味に限定され、翻弄され、その中で果てしない即興(improvisation)と活用(conjugation)を繰り返す。Aは、多分、@で展開される果てしないお喋りの、始めと後の無音地帯、もしくは、時間と空間の境界線で凝固したひとつの大きな肯定と祝福。

 話は駆け引きに戻る。"駆け引き"や"誘惑"や"復讐"は、@の次元に属する。そして人間は、人間が時間と空間と言葉に翻弄されつづける以上、それから逃れることはできない。カンディンスキーの絵画がどこまでいっても絵画であるのと同じように。

 但し、全く同時に、時間と空間と言葉から逃れ去ることのできる瞬間が、Aとして在り得る。(@とAは対立概念ではなく、ひとつの重心をめぐってねじれの位置にある、という感じ、つまり、交わりもしないし、同じ方向を向いてもいない、しかし何らかの重力によって結び付けられている)

 ぼくは個人的に、大変個人的に、Aを信じつづけてきたし、これからも信じる。別にこれは宗教的感覚と呼んでもいいと思う(そう呼ぶことで、何が変わるわけではないのだけれど)。但し、以前のように@を排除しようとするのではなく、それをやんわりと包括しながら。

・・・いずれにしても、もしぼくが@をAの抑止弁として考えているのなら、ぼくは年をとったと言わざるを得ないね、正直に。