ほりうち氏のおもうことvol.3 『それがどうしたというのだろう?』

06年5月28日

 ぼくはドイツで暮らしている。ぼくはフランスに行きたいと願っている。そう願いながら、今日新しい車を買った。プジョーの307CC、オートマチックハードトップのやつ。それがどうしたというのだろう?

 ぼくはギターを弾く。他愛も無い事を喋り、笑い、適度に仕事をこなし、料理もし、新しい人間関係を築こうとしている。それがどうしたというのだろう?

 ぼくは少し前まで持っていた急進的な攻撃性を失いかけているのかもしれない。ぼくは誰で、どこへ行くのか、全くわからない。ただ失われていく今日を失われていくままに放置し、来るべき死を待つ。それがどうしたというのだろう?ぼくの世界の中にある、本当のもの、それはもう失われてしまって、元には戻れないのだろうか?

 ぼくはきみを思い浮かべる。そこで、今だ、荒い息を吐き、CとGの間の音を捜し求めているきみを。生クリームにホワイトラムを芸術的な手つきで落とし込むきみを。神と人間と世界平和について考えるきみを。ぼくはそんなきみから、とてもとても遠いところに来てしまった。

 戻れないポイントというのはいつでも、どんな瞬間にも潜んでいる。そして、そんな戻れないポイントに対して妥協を始めた瞬間から、人は時間に食い殺されはじめる、はじめは、ゆっくりと、そして次第に、スピードをあげて、時間は人を穴だらけにし、葬り去る。

 葬り去られたその先に、例えば、無感覚があると仮定する。死との和解があると仮定する。(死と和解なんてほんとにできるんだろうか?ぼくは今だに、曾祖母の死の瞬間を考えてしまう。)もしそうであるなら、ぼくはそんな所には行きたくない。もがき、苦しみ、ぼくは生きていたい。時間はいずれにせよ、ぼくを穴だらけにするだろう、それでもぼくはそこに吹く風がぼくに与える痛みを感じられる身体を持っていたい。

 だからこそぼくは、ここに再び、戻れないポイントを設定する。この場所は、ぼくの心の中に根を張り、ぼくを内側から蝕むだろう。そしてぼくは再びきみに出遭えることを待ちわびる。

 暗闇の中で静かに何かを待ちわびるように、ぼくはその瞬間を待ちわびている。疲れきった夜も、空虚な朝も。多分、流れるままに流れていくこんな時間の中に、そのような瞬間は潜んでいる。ぼくはそれを、いくつになっても、感じ取ることができるだろうか?

 

 ぼくは少しづつ硬直し、きみの言葉も理解できなくなってしまうのかもしれない。それはとても悲しいことだと思う。ぼくは再びきみに出遭える朝を待ちわびる。倦怠という病に侵されながら。

 

06年6月13日

 最近ようやく仕事に火が付いてきたような気がする。多分、どこの世界でも云われるように、仕事のあるうちが華や。がんばらねば。波に乗らねば。

 日増しに、加速度的に、コミュニケーションというものが不可避であるということ、全ての加熱する人間関係はそれを通して成り立っているということを感じる。どうやってコミュニケーションを支配するか。それがぼくのこれからの10年のカギを握ると考える。どうやれば、冷えた人間の心に熱を吹き込み、次の一歩を踏み出させることができるんだろう?ぼくはそればかりを考えている。多分それは、経験というよりも、スピードとパワーをはじき出す訓練なんだろう。ぼくには訓練が足りない。筋トレも足りない。最近腰が痛い。ううむ。

 いずれにしても、明日車が届く。だからぼくの心は浮き足立っている。但し明日から出張で、帰るのは土曜日。週末にようやくクルマで遊べる・・