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ほりうち氏のおもうことvol.4

06年7月23日

生が空虚に投げ出される前に、何らかの形でこの身体をこの地上に繋ぎ止めておきたいと願うことがある。(恐らく、空虚に投げ出される感覚は、誰しも味わう深淵なのだと思う、恐らく。)それが人なのか、場所なのか、瞬間なのか、言葉なのか・・わからない。ただ、深淵の恐怖、空虚に投げ出され、上も下もわからない、昇っているのか落ちているのかわからない感覚から逃げ出すために、何らかの形でこの身体をこの地上に繋ぎ止めておきたいと願うことがある。重力。

 普通、人は確固とした生きる意味、自分の存在の意味なんて深く考えないし、そんな無意味な思考は、日常の忙しさの中に押し流されていく。ただ、ふとした瞬間に―友達が死んだ時、日本に帰る飛行機の中、あるいは、昔の彼女からの手紙が見つからない時、そんな瞬間に、突然深淵が自分の前に、もしくは自分の中にぽっかりと口を開けるのを見る。

 逃げ出す術は無い。それは人が本質的に抱えもつものだから。それはいつかきみを掴まえるー明日、もしくは、40年後の今日に。ぼくらはそこから目を逸らそうとする。大体において、その試みは成功する。そしてまた数週間は生き延びることができる。

 本当に稀有なことだけれど、ある人と向き合うということが、その深淵が口を開けるということと同義になることがある。ぼくはその人を愛するのだろう(それが、真実の愛かどうか、という議論にはちょっと自信が無いけど)。とても漠然と、この感情は、100年前に誰かが言った、クロノスに対するエロスという意味なのかなぁと、思う。

 もういちど、確認すると、ぼくの生は、この深淵に橋を架けて向こう側に辿り着く試みでありつづけるだろうと思う。誰もが何らかの形でそこに向かおうとするように。

 漠然とした議論ですいません。今、ぼくの生が充実している、だからこそ、深淵がより鮮明に浮かび上がってくるのです。ぼくはそれをユーモアで切り抜ける自信も無いわけです。

 ぼくの誠実が、その人に届けばいいと願う。

 

06年8月21日

 今更ながら、ぼくはぼくでしかないという事に気づく。

 ぼくは自分のスタイルを、特定の誰かと照らし合わせ、彼を基準にし、今の自分がどうかを見定めていたと思う。そんな単純な事に気づくのが、時にとても難しいことがある。
 ぼくはやっぱり、ここから一歩も退かないことにする。ぼくはぼく以外でも、ぼく以上でも、ぼく以下でも無い。

 

06年8月25日

 ぼくは今真夜中から明け方に移り行く時間に居る。いつも思うけど、ぼくはこの時間を大切にしたいと思う(この時間に滑り込むのは、とても久しぶり)。特に朝4時と5時の間には何かがある。肉体が沈み込み、精神がやけに澄み渡る何かが。ぼくがこんなにも観念的なのは、小さい頃、この時間によく沈み込んでいたから・・かもしれない。