ほりうち氏のおもうことvol9

07年9月29日

本日のテーマ;お別れ会について

 

 3年弱過ごしたドイツを離れるに至り、ガラにもなく感傷的になっております。そしてガラにもなくドイツ(もしくは、ヨーロッパ)で過ごした期間を総括するなら、ぼくが得た最大のものは、やっぱり人だし、コミュニケーションだろうと思う。その点で、ぼくが2003年に日本で働きはじめた頃から同僚として面倒をみてくれて、2006年からはボスとして面倒みてくれたマリアに負うところは物凄く大きい。この前のお別れ会で、本当に深くそう思った。マーケティングからのプレゼントは、下記のあやしげな人形。・・・何これ?

   

…ダッチ○イフやんか!(爆笑)添付の手紙には、「アンタ、日本で女の子見つける、ゆうてるけど、これはそのプランが頓挫した場合のバックアップソリューションやで」。

 素直に、正直に、このプレゼントには感動した。こんな素晴らしいものをもらったのは初めて。この贈り物は、ぼくがどこまでコミュニケーションをコメディに転化できるかに対する挑戦であり、同時にマリアがぼくをどこまで深く理解し、信頼しているかの証明書でもある。いつか、バルセロナに行った時に、地下鉄の連絡通路のギター弾きがぼくに誘惑の旋律を投げかけ、ぼくがそれを正確に受け止めた話はしたっけ?それと同じ種類の、しかしもっともIntensiveなコミュニケーションの瞬間がそこにはあった。

 結局、本当にコメディにしかならないんだけど、ぼくはこのプレゼントをもらって、改めてマリアがぼくのコミュニケーション方法に及ぼした影響を理解し、初めてここを離れることを、彼女の傍を離れることを悲しく思った。・・・いつになるかわからんけど、結婚式には呼ぶから、待っててな。

 別れは誰の上にも訪れる。大切なのは、半年に一回、メールを書きあうことじゃなくて、こういうコミュニケーションの瞬間を胸に刻み付け、ふっと思い立って、彼女とランチをご一緒するためだけにまたドイツに戻ってくる、そんな軽快さを失わないことだと思う。ぼくはどこまで逃げきれるだろうか?

 

 たくさんお別れ会をしてもらって(うーん、どっちかっていうと、ぼくが主催者 兼 主賓というのが多かった気が・・・笑)ついでに、Bad Nauheimで最後のコンサートと称して、いつも通りのみどり豆のカフェに召集をかけた。どっちかっていうとですね、カフェのおっちゃんとおばちゃんにはいろいろお世話になったから、彼らに対するお別れ会のつもりで開いたんですけど、みんなたくさん来てくれて、よかった。

・・・でもレパートリーが全然増えてなくて、ほんとに申し訳ない・・・

  

男前なところ(注;自画自賛)を激写してくれたM嬢に感謝。シャッタースピードを遅らせることで、躍動感のある写真に仕上がってますな(尤も、本人は意識してやってないと思うが 笑)

 

 ぼくが"旧いヨーロッパ"を愛してやまないのは、ここには洗練されたコミュニケーションの美があると感じるから。例えばこのカフェには、ドイツ人がいて、フランス人がいて、チェコ人がいて、イギリス人がいて、日本人がいる。構成員に応じて、宛先に応じて、言語を切り替える。そこにコミュニケーションの技巧的な美しさが潜んでいる。意味を伝えるのではなく、意志を伝えるということ(それは同時に、誘惑するということ)、そんな、ヨーロッパに特徴的な方法に対して、多言語の知識は想像以上に有効なツールとして役立つことも知った。また、(イギリス人でも、スペイン人でも、ドイツ人でもない)ヨーロッパ人は、多言語を操り、多言語に交わることで自己のアイデンティティを多元化し、文字通り「コスモポリタン」と化す。このような文化背景があるからこそ、欧州連合なんていう前代未聞の枠組みが出来上がったのだろう。

 こんなに魅力的なヨーロッパを去るのは、やっぱり名残惜しい。ぼくの知る限り最強のコスモポリタンであるマリアと離れてしまうのも、やっぱり名残惜しい。でもまぁ、もう決めてしまったことだし(ドイツテレコムのせいで!笑)ぼくは次に行くことにするよ。どこだろうね、次は・・・・最強の国、アメリカ?最強になりそうな国、中国?とりあえず、今興味あるのはこのふたつだな。

 いずれにしても、ヨーロッパで出会った全ての人にありがとうを言いたい。そしてぼくは3日後、日本に帰る(隅田川沿いのビニールシート生活が待ってるぞ、と警告してくれる人が多々。いずれにしても、がんばります)