フランスプチ留学の話

写真はこちら。その他写真もいろいろリンクしてあります。

ちなみに、ワタクシかなり適当なことを書いているので、あしからず。

 

06年9月16日

 なんかいろんなモンに乗り/乗せられしつつ、結局フランスに2週間、語学研修に行くことにしました。せっかくの休みつぶして・・・しかしぼくは基本的に何かやってないと落ち着かない人なので、ドイツ語も飽きたことやし、次の言葉に手を出してもよいかな、と・・・今の会社クビになっても、欧州のメジャー言語を幾つか喋れてたら、口に糊することはできるだろう、と・・・甘い考えを抱き・・・でもやっぱり中国語はいつかやりたいので、次中国語ね。(多分、5年後くらい・・)

 もちろん、次のターゲットをフランスに設定したのはいろいろ思惑はあるのですよ。欧州人と付き合い始めてぼくが達した結論は、「こいつら気狂っとる」という事で、しかしその気の狂い具合が国によっていろいろ違うという事を感じてきた。ドイツに少なくとも2年住むことで、彼らの扱いはだんだん判ってきたと思うけど、フランス人はどんどん理解できんようになってきた。多分、中に入り込まんとあかんねやろな。「中に入り込む」ぼくにとってその切り口はいつも言語。

 スペイン語できてるから結構すんなりいくんと違うか?と思ってたけど、確かに文法はかなり近いものがあるけど、発音は難しいわこれ・・・なんとかせんと。ぼくの楽観的で淡い期待は、この2週間で発音のコツを掴んで、あとは語彙とか文法とかをぼちぼち詰め込んでいくというもの。来年あたりには今のドイツ語のレベルくらいにしたいなぁ・・・ 

 話を戻そう。今空港でフランス行きの飛行機待ってるんやけど、自分がほんとに無軌道やなぁと思う。少し、どころか、かなり、投げやりになってないだろうか・・・あ、飛行機出るわ。

 

06年9月17日

 語学研修初日を明日に控え、今日は市内をうろうろした。とにかくアホみたいに歩いたのに、楽器屋が見つからん・・・あ、でも、Gare du Nordからずっと南にSt Denisを下っていったんやけど、この通りはうさんくさい店や多国籍な店が多くてよかった。ちょっとメキシコの匂いがした。ああ、あとポンピドゥーセンターの近くで、よさげな古着屋を見つけた。あの、南極探検隊が被ってそうな毛皮の帽子、欲しかってん・・・25ユーロやって。買うしかないやろ。でも今日はちょっと考えて、今度また来ることにする。あと、シャンソンのCDを何枚か買った。シャンソンってきいて和田アキコしか頭に浮かばんのはさすがにまずいやろ。

 そうや!昨日の夜のことを書かなあかん。住むとこをずっと探してて見つからないので、フランスオフィスの同僚に「なんかええとこない?」と訊いたら、ぼくがフランス滞在する時期にたまたま彼はドイツオフィスに出張してて留守なので、家を使ってよいとの事。ラッキー。ただ、彼の家はパリ市内ではなく郊外にあるので、パリ北駅から30分くらい電車に乗らないといけない。しかも最寄駅から徒歩20分。ううん、ちょっときつい・・でもタダ宿やし、良しとする。・・・で、そうこういいながら最寄駅について、彼の家を探しながら歩いてると、いきなり卵が飛んできた!危うく直撃はせんかったけど。わけわからんわ・・・卵投げられる理由が。そんなこんなで少々へこんでたけど、今日はいい日だったので良しとする。

 悪い癖やと思うけど、全てにおいてメキシコが基準点になってて、それとの比較で外国を見てる気がする。その点、ドイツはもう全然ダメやねん、残念ながら。人はクラいし、街はきれいすぎるし・・・パリは結構いい線いってると思う。前述のSt Denis通りは生活臭+αの汚さがあったし、ラクガキは至る所にあるし。人は恐ろしく狂ってるし。

 

06年9月19日

 ワタクシのフランス熱は高まるばかりでございます。昨日は、アフリカの太鼓(ジャンベ)をケースつきで100ユーロで購入。ありえへん安さ・・・木をまるごとくりぬいて作ったやつで、高さは約60cm。買ってから気づいたけど、こんなんどうやって持って帰ったらええねん・・・??今日はいつも行く近所の雑貨屋さんのおっさんと少し話した。モロッコ人のおっさんの怪しいフランス語と、ぼくの怪しいフランス語やから殆ど意味通じてないねんけど、やっぱりいつになってもこの感覚はいいなぁと思う。言葉を習得していく途中で感じる「ぼくは理解(=認知)されている・・!」という感情。ありきたりな事だけど、やっぱりいいものだと思う。

 今日、達した結論は、こいつら気狂っとると人には言いながら、自分自身が気狂いを忘れていることに気づいたという事。こんなんあかんわ。全然ダメや。「狂気を加速させること」今日からぼくはこれをテーマに行こうと思う。

 

06年9月20日

 日に日にパリが好きになってきているほりうち氏でございます。アンドレブルトンのうそつき!「メキシコはシュルレアリスム王国だ」なんて言って、パリだって十分"超"現実やわ!ホームレスがマクドの二階まで上がってきてぼくのオレンジジュース勝手に飲もうとするし・・・Gare du Nordの北側の外国人街(主にアフリカ系)のいかがわしい食堂に入ったら何かの脳みそが冷蔵庫に入ってるし・・・水頼んだらトイレの洗面所で汲んだ水渡されるし・・・おかしいわ。どう考えても先進国とは思えへん。ある意味では、メキシコシティよりひどいよ。

 当然、パリのそんな一面を愛してやまないのです(観光スポットはひととおり歩いたけど、あかんわ。身体に合わん)多分、ブルトンがフランスに住んでた頃(第二次大戦期)は、そんなに外国人入ってきてなかったから、今みたいな雰囲気じゃなかったんやろな・・・(詳しいとこ調べてみたいもんだ)つまり、パリはメキシコシティからシュルレアリスムの首都を奪還しつつある・・か?多分ムリやろうけど(強気)メキシコに敵う国はなかなか無いよ(強気)。ちなみにGare du Nordの改札口のひとつはなぜかフリーパスになってて、そこから入ると郊外行き電車がただ乗りできます(なんじゃそりゃ)

 「狂気=加速」のとてもいい勉強になると思う。ついでに大道芸にも興味が出てきたので、そのうち大道芸チェックしにいきます。

 

06年9月21日

 昨日に引き続き、日に日にパリが好きになってきているほりうち氏でございます。今日は語学学校のクラスメートとお酒を飲んでて、終電ぎりぎりで間に合ってよかったーと思ってたら途中の駅でなにやらアナウンスが入って突然乗客が全員降りたので、ぼくも一緒に降りて、いろんな人に「どうしたらええのん?」て訊いたら、どうも今日は電車はここまででおしまいで、ぼくの住んでるところまでは深夜バスが出ているという。

 バス乗り場に行って、バス会社の人のインストラクションに従い切符を購入・・・でもおつりが出てこない。
「あ、この機械、おつり切れてるわ。ごめんね。」
・・・まぁ100円くらいええけど・・・

 バス停では運転手が同僚と談笑しており、早速持っていたウクレレに突っ込みが入る。
運転手「それ何?ギター?小さいねぇ。弾けるん?」
同僚(身振りを交え)「それでオマエの頭をどつくねん!ゲヘヘヘ」
何がおもろいんかわからんけど、とりあえずフレンドリーな雰囲気なのでいいとする。ちなみにこの間、ワタクシ「はい」と「いいえ」以外殆ど喋っておりません。ところでバスに乗ろうとしてさっき買った切符を見せると、
「あぁ、ええよええよタダで。」

・・・先に言わんかい!

 

06年9月24日

 本日はポンピドゥー広場の東側のMarais地区を散策。たまたまなんか新鋭デザイナーの即売展示会やってて、恐ろしいジャケットを発見してしもた・・・安かったし、サイズがぴったりやったので即購入。でも、後からきたどっかの日本人が「これ、美川憲一の衣装みたいだねー」と言ってるのを聴き、はっと我に返った。こんなん、どうやって着たらええねん・・・こんなん着て歩いてたら、どっからみても噂のマジシャンやわ・・・(涙)誰か、いい着方教えてください。

 Marais地区は洒落た服屋とか古着屋とかいろいろあってよろしい。別の店では20ユーロの革ジャケットと、5ユーロのシャツを購入。安すぎる・・・(でも店長が恐ろしくスノッブでまいった)

 多分、パリはいろんなコスト構造が普通と違う。というか、狂っとる。コーヒー一杯に4ユーロ取るくせに(フランクフルトなら2.5ユーロくらいか?)、前述の恐ろしいデザインのジャケットが120ユーロやったり、でかい太鼓が100ユーロやったり・・・(ちなみにメキシコで買った、同じタイプで一回り小さいやつは、多分70ユーロくらい出してたと思う)なんか間違えてるような気がしてならない。・・・まぁええけど。

 あ、あと、話変わるけど、ポンピドゥー広場近くにも古着屋があって、そこでも革ジャンとか20ユーロくらいで買えるよ。でもそこの兄ちゃんはかなりアグレッシブなゲイやから気をつけたほうがいい。下手すると襲われるで。

 でもゲイが多い街というのも悪くないと思う。どこがどう開いてここに至ったのかを考えるのも面白いし(多分200年くらい前なら確実に打ち首獄門やろなー)ゲイの方にも行きたいけどおっかなびっくりのワタクシとしてはいろいろ参考になる。ぼくが勝手に考えてるのは、多分、人と人との間に横たわる深淵の考え方にいくつかの段階(もしくは、方法)があって、同性愛というのは深淵に架ける橋のひとつなんじゃないかという事。いずれにしても、相手が居らんと始まらんしね。ぼちぼちいこう。

 

06年9月26日

 財布盗まれた。最悪や・・・といっても、財布自体は戻ってきたけど。もちろん、ぼーっとしてたぼくが悪いんやけど・・・盗まれた状況を言葉で説明するのはとても難しいから今度絵でも描いて説明しますわ。

 

06年9月28日

 授業終わったあと、受付のところでイスラエル人のクラスメートとドイツ語で喋ってたら、横に居た女の子が「あんたら、ドイツ語喋るん?」と話し掛けてきた。さすがに、あからさまな外国人がフランスでドイツ語喋ってたら胡散臭く映るわ。で、その子と喋ってて、ふとぼくがメキシコに居た話になって「あれ、あんたスペイン語喋るんやん!あたしチリ人やで!」当然即座にスペイン語に変更。カルラという名前の彼女は写真系のアーティストで、ドイツ人と結婚してオーストリアに移住した後、政府の奨学金でフランスに来たという。せっかくやし、セーヌ川沿いでピクニック+その辺うろうろしながらビール飲もうという事になった。(ちなみに彼女はサンルイ島から歩いて3分のとこにアトリエ兼フラットを構えている。それも奨学金で。うらやましすぎる・・)

 セーヌ川沿いは、夕暮れになると学生がビール持って集まって、当然ギターを弾く。彼女と喋ってるうちに、近くにスペイン語を話すグループがやってきた。カルラ「あれ、メキシコ人やで。アクセントがそれっぽい」。そんなもんか?ぼく的には、例えばスペイン-スペイン語特有の言い回しとか、南米のS抜き発音とかはわかるけど、聴いただけでそれがメキシコ語か、グアテマラ語か、コロンビア語かとかわからへん。聞き比べたことないし。とか考えてると、例の如くギターを持参した男の子が歌いだした。・・・メキシコの歌や!!!やられた。こんなところでこの歌を聴くなんて・・・なんか、メキシコ時代の思い出がぐわぁと押し寄せてひどい精神状態になった。ここはもう参戦するしか無い。そそくさと彼に話し掛け「・・・一曲歌わせろ!」そしてマリアッチやら何やら、何曲か歌って、その後談笑。

 グループ構成は男の子(多分フランス人)、女の子(多分メキシコ人)、父と母(メキシコ人)。娘がフランス留学して、フランス人の彼氏が出来て、親が遊びに来た、もしくは、男の子がメキシコ留学してて、彼女が出来て、男の子がフランスに連れて帰ってきて、親が取り返しに来たか。多分前者やな。『Macondo』を歌ったので、ご両親が早速ガルシアマルケスネタを披露。一緒に写真を撮ったことがあるらしい。この人ら富豪?また、男の子は『El rey』をいたく気にいったらしく、歌詞とギターコードをご所望の様子。メアドをもらって、返事することに。

(注;『Macondo』はシルビオ・ロドリゲス(だったと思う)の歌で、ガルシア・マルケスの名著『百年の孤独』の舞台となる架空の町マコンドについて歌ってる。)

 いやぁパリの夜は(財布さえ盗まれなければ)楽しい。楽しいテーマの次に、重たいテーマをひとつ。

 カルラはウィーンに住んでる。そこでは、外国人排斥・人種/民族差別的な、ざっくり言う右翼的活動・思想がとても盛んらしい。(オーストリア南部にはハイダーっていう悪名高い成金マフィア政治家が居るよね)。

ぼくの質問:なんで?だって、ドイツじゃそんなこと不可能だよ。もちろん右翼的団体は存在するし、最近活発になってきてるけど、それでも過去の遺産(=ヒトラーとその民族粛清)が重すぎて、ちょっとでも右に傾けば欧州各国は一斉にドイツを非難する政治的構造が出来上がってしまっている。どうしてオーストリアではそれが可能なの?

カルラの答え:なぜなら、ドイツ人は、ヒトラーを選んでしまったこと、民族粛清に突き進んだことを自分の罪として認識しているのに対し、オーストリア人はそれらをドイツに強いられたことだと認識しているから。おかしいよね、ヒトラーは元々オーストリア人だし、ヒトラーがオーストリアを併合した時、人々は諸手を挙げて歓迎したのに、今じゃオーストリア併合や、オーストリア国内で行われた虐殺を「ドイツに占領された」「ドイツがオーストリアに強制した」と言うのだから。

オーストリアに行ってみたくなった。

 正直、たった一晩で、ぼくをこんなに夢中にさせる人に出会うのはなかなか無い。彼女はクールで、ウィットに富んで、知識豊富で、人に優しくて、美しい。もう結婚してるなんて・・・残念だ・・・。略奪愛しか無いな(笑)。ほんまに、欧州・アメリカ・アジアの政治と、シュルレアリスムと、日本人の女の子の歩き方と、ピノチェトとその後のチリの状態と、男女の性的魅力と誘惑のコミュニケーション理論について6時間ぶっ通しで話せる人が、この世界にどのくらい居るんだろう?唯一確かなのは、この手の女の子は、フランクフルトには行かずに、パリに行く。やっぱりパリに住まんとあかんで!(こじつけ)

 帰りの電車の中で思ったこと。老若男女問わず、結婚してる・してないを問わず、出会ってからの時間を問わず、「ぼくはきみを好きだ」と表明することは(少なくとも、ぼくを軸にしたコミュニケーション空間の中では)本当に重要なことだと思った。ひとつめのその表明はぼくときみの胸に楔のように打ち込まれるものであって欲しい。(ハイロウズ『14歳』を参照)

 この出会いが、ぼくの中で哲学として凝結してくれる事を願う。

 

06年10月1日

 ほりうち氏、とうとうゲイに襲われる。ほんまにこのパリでの2週間は、最後の最後まで予想もつかん事が起こるわ・・・最終日は、とあるつてで知り合ったゲイのカップルの家に泊めてもらうことにしてんけど、片割れが家の事情で実家に帰ってしまい、もう一人と差し向かい。日中は、フリーマーケット行ったり(ここがなかなか良かった。中国製の2オクターブ半もあるハーモニカを6ユーロで購入。)中国食材店で北京ダックと麺とコリアンダーを購入して中華ソバみたいなのを作って食べたり・・普通に過ごした。

 雰囲気がおかしくなりだしたのは家でメシ食ってからホリーコールのCD聴きながら茶飲みはじめてから。ぼくは好奇心旺盛やし、ゲイの人と面と向かって話すのははじめてやから、この際いろいろ訊こうと思って、彼の恋愛観やら、いまの彼との馴れ初めとか、メイクラブの仕方とか、根掘り葉掘り訊き始めた。24日に書いたように、ぼくは理論的にはゲイに否定的ではないし、どちらかといえば能動的に識りたいと思ってる方やから、かなりオープンな態度で彼に接してたんやけど、それが彼には合意のサインと取られたらしい(ゲイの人って、何でこんなにアプローチが早いの?)

 ゲイのメイクラブの仕方はいろいろあるんやけど、その一番簡単な方法で、2回ばかりメイクラブした。(詳細は省略致します(笑))

 結果?うーん、予想してたけど、やっぱりぼくには物凄く難しかった。彼はスマートで、頭が良くて、チャーミングやけど、彼の肉体に(つまり、男性の肉体に)性的魅力は感じないから、快感を維持するのにすごく苦労する。(これは別のテーマになるけど、つまり物理的な刺激が快感と受け取られるためには確実に精神的・感情的な触媒が必要だという事。)

 逆に、簡単に想像できるように、「ここをこうしたら彼は気持ちいいやろな」というのが凄く想像しやすいから、展開しやすい(その分、サプライズは少ないかも)

 あと、はじめる前、終わった後、恐ろしく精神が動揺してたけど、一貫して思ったのは、「はじめての夜を迎える15歳の女の子みたいや・・・」という事。もちろんぼくはその15歳の女の子がどんな気持ちでいるかなんて絶対にわからんし(誰か、教えて。)その当時、ぼくは男の子の側で、女の子の気持ちなんて想像したこともなかったし・・・とにかく、心から恐怖を覚えた。もうひとつ思ったのは、ぼくは女性相手だとかなり男性優位的な立場をとりたがるくせに、男性相手になると途端に恐ろしく女性的になるという事。なんというか、他者に対して「包容=抱擁」する、という感情。興味深い。とても興味深い。男性に向かうことは、女性に向かうよりもっと鮮明に、自分自身に向かう事を意味するのだと思う。

 いずれにしても、ぼくは彼との出会いと、一緒に過ごした夜に起こったことをずっと考えつづけるだろう。合掌。

 

まとめ

 2週間のパリ滞在でしたが、やっぱり10月1日の夜のアクシデントがいちばんでかいなぁ・・・その次がチリ人アーティストとの出会いか。その他もろもろ、ぼくの中ではメキシコ滞在に匹敵するインパクトがありました。1週間が経過した時点で既に、どんな形であれ、いつかこの街に住むことを決意してたくらい、気にいった。また、ドイツに住みながらずっとくすぶってたポイントが「狂気」という言葉の下に再構築され、ひとつの方向性として凝固しつつあるのも、この2週間があったお陰だと思う。休みをくれたボスと、クラスメートと、ぼくの財布を盗もうとした太っちょと、いつも日本語で迎えてくれたモロッコ人の気のいい店長と、非常に興味深い夜をくれたオーストラリア人のスマートな男の子に感謝。