言語に関して思いついたことの走り書

 

コニーのバイト先のクリスマス会の如きものにタダ飯を頂きに行ったときのこと。殆どドイツ人で、ひとりポルトガル人が居たけど、何人かスペイン語が喋れたしポルトガル語もちょっとはわかったので問題無かった。ここに来て感じるのは、ここでのコミュニケーションにおいて重要なのは国籍ではなく話す言語だということだ。うーん。自分でもよくわからんけど。ぼくはスペイン語をメインに、少々の英語とほんのちょっとドイツ語を話す(かなりの部分をコニーに頼ってるけどね)ドイツ語しか喋れん人とは噛み合わせが悪いけど、イタリアに行った時にコニーの友達がしてくれたみたいに、イタリア語・英語を混ぜてくれるとやりやすい。この日に居たポルトガル人とも、なんとか通じた。彼女は自分の言葉をスペイン語風に発音しようと試みたし、ぼくもスペイン語的に聴こうと試みた。まあ、どっちにしても、ぼくがドイツ語喋れてたら全く問題ないんやけど。もうちょっと時間が必要。

 一人、お父さんがイタリア人でお母さんがウルグアイ人(どっちやったか忘れた)の男の子が居て(25歳くらいやったけどドイツ人は大概老けて見える)、ウルグアイスペイン語とメキシコスペイン語の違いとか、そうゆうので盛り上がった。これはほんまに面白かった。彼にしたら、ぼく(とコニー)のスペイン語はほんまにメキシコ的に響くらしい。彼のスペイン語はウルグアイ的やったんやろか。ウルグアイのスペイン語ていってもあんまりぴんとこない。スペインスペイン語は正直、ぼくにとって微妙に失笑を誘うものだ。失礼かな?Tomais un café? とか聴くとね。なんかね。でも、スペイン人にしたら、 Ay ombliguito! とか聴いたらイライラすんのかな。メキシコで同居人やった男の子にこの前会ったけど、彼はチリで長く暮らしていたのでS抜けの発音がすごい。時々、よく理解できんことがある。しかしS抜けの発音は、O先生のタンゴ授業とかジプシーキングスとか聴いてるから、けっこう心地いい。3日ほど前にカフェに行ったら店員があれは絶対メキシコ人で、No mames guey, vamos a ver carbon eh? と言っているのを聴いて、なんかぞくぞくするというか・・・やっぱりぼくにとってメキシコは強烈やったんやと思う。あの胡散臭さ。話は戻って、そのぼくが主に喋ってた、ウルグアイタリアドイツ人の男の子とはほんと盛り上がった。パンプローナの牛追い祭は、一度は観てみたい。彼もまだ観たことが無いらしい。うーん。バタイユが「死のエロティシズムを民族的に熟知している」とかなんとか、そんなことを言った、スペイン。彼がブルトンともうちょっと仲良くて、メキシコにいっしょに行ったりしてたら、面白かったんやろなあ・・て思う。