オアハカに行ってきました。

 こんなにリゾオトしたのはほんとうに初めてのことかもしれません。おとん、おかん、ありがとう。ここには15日〜25日までのグアダラハラ→メキシコシティ→オアハカ→メキシコシティ→グアダラハラの旅行について書かれます。


 15日の夜に夜行バスでグアダラハラを出発、朝、メキシコシティに到着。ソカロはもうクリスマス騒ぎ。うるさい、汚い。道中ゴミだらけ。ちょっと休憩して、フリーダ・カーロ博物館やトロツキーの家があるコヨアカンへ行く。メキシコシティは地下鉄が充実してていい。いろんなイミで怖いけど(笑)コヨアカンはいい。静かで。

 トロツキーの家はよかった。ものすごくリアル。彼は晩年メキシコに亡命してディエゴ・リベラとフリーダ・カーロの家からほんの2〜3ブロックのとこに住むことになる。結局暗殺されてしまうんやけど・・・家の扉が厚さ10cmくらいの鉄板でできてんの。まるで牢獄。こわいなあスターリン。

 次の日。チャプルテペック城に行く。ううん。で、何やったやろ?あんま覚えてない。日本じゃ犬を鎖で繋いで子供を腕に抱くのだが、メキシコぢゃ犬は放し飼いにして子供をヒモで繋ぐらしいよ。時々ね。

 次の日。ベージャス・アルテス美術館にてフアン・ルルフォの写真展。ルルフォはハリスコ州生まれの作家ですが、写真や映画までこなすという多才なお人。あと、リベラやシケイロス、オロスコの壁画もあった。ある壁画の中に描かれた明らかにナチスを想定したと思われる鍵十字が「反対」であるのを見てコニー爆笑。後にフランツ・マヤ博物館へ。ここは骨董好きでなきゃ面白くないやろね。でも中庭にあるカフェはいけてる。でもチーズケーキはやはり”メキシコの”チーズケーキなのでご注意を。ソナ・ロッサ地区でカフェしつつうろうろしつつ野菜食べつつ。そして空港へコニーの妹を迎えに行く。

 彼女を拾ってからセントロへ戻りソカロに面する「ホテル・マジェスティック」(多分)の屋上レストランで食事。見かけにしてはそんなに高くなかったのでおすすめよ。さて、すぐにバスターミナルへ。切符を買って、2時間待って、オアハカへ。

 朝、オアハカ到着。ユースホステルのようなところに着く。アメ人の多い中に日本人(沈没者?)もちらほら。まあここにいたらマリハナ吸い放題やからね。気が済むまで沈没しててください。
 外に出てちょっと歩く。コニーの妹(ヴェレナ)は姉よりちょっとでかい。

 次の日・・・もう19日か。19日はモンテ・アルバンの遺跡に行った。ううん。テオティウアカンしか行ってへんから、比較するにしても・・・よかった、とだけ、言っておきます。その後ポシュトラ行きのバスに乗る為にバスターミナルへ(ほんまにバスばっかり乗ってるなあ)また2時間くらい待ったかなあ・・・2等バスで出発。グネグネの山道を信じられへんほどトバすから怖い。
 地図で見れば、この辺のビーチ(プエルト・エスコンディードやプエルト・アンヘル)に近いのはオアハカシティなんやけど、間に山があるからアクセスはよくない。直接行くには2等バスしかないし、それにチアパスを経由する1等バスと同じだけ時間がかかる。ううん。しかし行く価値はあったと思うぞ。夜中の12時頃にポシュトラに到着、そしてぼったくりタクシーに乗ってマツンテのビーチへ。こんな夜中に起きてるヒトは居ないってんで途方に暮れてたけど、浜辺のロッヂで酒を飲んでる人たちが親切で「ハンモックで寝たらええやん」と毛布とハンモックを貸してくれた。Mil gracias。さてしかし蚊が多くて眠れたもんやなかったけどね。
 次の朝、ロッヂをひとつ借りて落ち着き、少し休憩してから浜に出る。多分ね、ここで飲んだパイナップルジュースになんか変なモンが入ってたんやと思う。明日の朝にはムカムカがピークに達するのだがそんなこととは露知らずわちゃわちゃと遊んで、浜辺で本を読んで(エセ哲学者を気取るのは楽しい)寝る。そんな一日を過ごした。
 ギターを持っていったにもかかわらず結局あんまり弾かずじまい。
 
 ううん、書くの疲れてきた。さらりと写真を載っけて終わりにしよう。
 

 


満面の、笑み。


ロッヂからの眺め。ビーチだ。水着のねえちゃんだ


氷があたってムカムカする夜を過ごし、迎えた朝。
スズキの一種のフライにチリとオレンジジュースのサルサをかけたものを食す。
完全回復。


そんなこんなでメキシコ生活最後の旅も終わり、ご満悦のほりうち氏。