6月11日;
TELMEXに行き、電話線の引継ぎあれこれ。洗濯に行き、無愛想な店員さんに閉口しつつも、本を読む。以上。

6月12日;『今日はギターの日』
今日はルイスとギター講習☆二週目。フェデラリスモの公園に行きました。バスに乗ってる、途中、ひどい雨になり、大変。びしょびしょになりました。さて、今日は何をやったか・・?一言でいえば『メキシコ音楽の歴史』かな?あんまり興味深いもんだから、あとでまとめてみようと思ってます。
ぼくはやはり、革命期の音楽に興味がある。重たいことを言ってるはずなのに、なぜか3コードの明るいメロディ&リズム。ううん・・・理解に苦しむ。

6月13日;
ブラサデルソルで勉強してると、見ず知らずの女の子に声を掛けられた。なんですか?少しおしゃべりして、昼ごはんに招待されたので、(ちょうどおなかも空いてたし)一緒にバスに乗った。彼女はグアダラハラの郊外で、20の絵描きで学生のダンナと、1歳半の娘と一緒に住んでいた。こうゆう偶然のアレに、ぼくの交友関係は頼ってるなあとつくづく思いました。考えてみれば、自分から声を掛けて友達になったことなんてあったかなあ?うーむ、思いつかへん。どっちがいいってこともないんやろうけど、ぼくの場合、一人でも結構快適にやっていけると信じている点に問題がある。

6月14日;
引越し先のうちに、お昼ゴハンをおよばれした。で、いくつか写真を撮ってきた。ううむ、相変わらず、可愛い。はやく引越ししたい・・・しかし、少し学校からは遠い。まあ、バス一本でいけるし、問題ないでしょう。ええと、何書こうとしてたのか、忘れた。まあいいか。さて、テレビと観てたら、『らOま1/2』が放映されていた。ようわからんけど、こうゆうときのスペイン語の訳し方に笑えてしまうことがある(すぎもっつも、『ドOゴンボール』ネタで、おもしろいことを言っていた)なんでここまで流行るんかが、わからん。今度、ちっちゃい子が、「どこで」笑うんか、観察しとこうっと。

6月16日;
昼11時半;日本語教えに、セントロ付近へ行く。いつも通り、メキシコ人はなかなか来ないので、トーニョとギターを弾いて遊ぶ。何人かが到着(あかん、全然名前覚えてないわ)とにかく、授業をはじめる。今日は、彼ら全くの初心者なので、「ひらがな」と「かたかな」から始める。メキシコのオタク人口はかなりのものらしく、今日は5人来たけど、MAXは10人になるらしい(まあ、その全員がオタクというわけではないけど)素晴らしい。今日来た男の子の一人は『エOンゲリオン』が面白かった、ということを言っていた・・・ぼくも来る前に観て、おもしろかったっす。初対面・初体験ということもあり、かなりハイテンションでいったので、ちょっとみんなひいてたんとちゃうかなあ・・・

昼2時;マリエラの展示会があるというので、UdeGの近くの(多分、教員養成学校)NORMALへ行く。正確には、行こうとする。バスに乗り、うっかりしているうちにあらぬ方向へ・・・やけになってずっと乗っていると、かなり郊外まで流されてしまった。再び30分かけてもとの場所へ・・・この間1時間。

昼4時;おなかも空いていたし、もうええか・・と自分に言い訳して、めしくいに行く。途中で、お気に入りのカフェの前を通る。店の前に立っていたねえちゃんに薦められるも「あとで戻ってくるわ」と適当なコトを言い(その時は戻るつもりやったんやけどなぁ・・・)歩く。適当に食べて、DUANNYが店番してるティアンギスへ行く。(この前、ヨシコさんが彼にからまれたらしい)店の裏で、malas palabrasをいろいろ教えてもらう。雨が降ってくる。雨宿りしながら、彼の重たい恋愛話を聞く。3月までここに居た日本人と付き合っていた彼。様々な状況の変化により(よく恋人たちに襲いかかる類いのハプニング)彼は今、悩んでいます。この種のハナシに部外者が突っ込むのはよくないとは思いますが、多分京都外大のアナタ、海の向こうに居る彼を安心させてあげてください。もしくは、はっきり彼にカボチャを投げつけてあげてください。彼は働く気まんまんで、「百聞は一見にしかずやから」とかわけのわからんことを言ってがんばるつもりらしいです。

夜8時;めしくいにうちへ帰る。うちに、来週からCEPEで勉強するアメ人のひとりが到着。ダニエルは、あ、まだ何歳か訊いてないわ・・・ご他聞にもれず心理学を勉強してたらしい。でも飛び級で2年早く卒業、今は最近知り合った彼女がラテン系なもんで、スペイン語を勉強している(もちろん、それだけが理由じゃないけど)らしい。坊主でヒゲの男前。ほんま何歳やろ。てゆうか、なんでアメ人には心理学やる人間が多いんやろ?日本にも多いんかな?

夜10時;パソコンに向かう。今日の名言;

『人間には二種類ある。忙しいヒトと、そうでないヒトだ。』

について考えてる。これはDUANNYの言葉なんやけど、彼の言いたいのはつまり、「日々を忙しい忙しいと感じて暮らす人間は、朝起きて、めしくって、仕事して、かえって、寝る、それだけ。そうでない人間、つまり、ヒマのある人間は、その時間をもって絵を描き、うたをつくり、詩を描き、キノコ型のランプをつくる(ぼくのようにね!)」これはいいとこ突いてると思った。翻訳してみるなら「忙しいヒトより、そうでないヒトのほうが濃密な時間を過ごしている」ということになるんかな。もちろん、これはすべてじゃない、が、いいとこついてる。ミギーの言うところの「心にヒマのある動物」である人間が、より人間であるのは、心にヒマがあるとき・・・ってゆうことですかね。
 自分に置き換えてみれば、ぼくは高校受験の時期が一番曲つくりに励んだときだと思う。週に2〜3曲は作ってた(質についてははお願いやから訊かんといて)といっても、勉強は結構してた。毎日塾の自習室に通ってたし。いつも通り難しく言うなら「内的時間の扱い方を識っていた」ということっすかね。
 今、ぼくにはヒマが無さ過ぎる。「外的時間」としての24時間はいまもむかしも変わらず、なんやけど、時々刻々と変動する「内的時間」がいっぱいいっぱいなんです。時に、過去へと思いをめぐらすことに費やす。あかんなあ。一般的に言う「時間の使い方が下手くそ」なんやな。うん、実際そう思いますわ。でも、今までこれでやってきた、というスタイルを崩すのは簡単なことじゃない。で、中学以来今までずっと愚直にやってきた(つもり)なのですが、そろそろ限界ですかね。・・・・よし、やり方変えてみよう。そして、ヒマな人間になろう。

(まあ、無駄やとおもうけどね。)


6月18日;『メキシコのゆとり教育について』
今日はマリエラとうろうろした。なんかしらん間にへんなおっさんがついてきてて、自称出版社の社長の息子なんやけどそれはかなりうさんくさい話で、でもまあコーヒーをおごってもらって楽しかった。さて、そこで出てきたハナシ。以前にも、まゆみさんに、メキシコのゆとり教育の弊害についていろいろ聞いてたんやけど、やっぱりそれを直接聞いてみたくて、また、マリエラは小学校の先生ということもあり、社会ネタのハナシになった頃を見計らってねじ込んでみた。
話によると、1993年に、教育改革があって、まず性教育、麻薬に関する教育が削られた。そして、読み書きはできても、自分で想像したり、意見を言ったりすることができないようなやり方になった(らしい・・・少なくともマリエラは、自分の初めての生徒達がそんな風だったと言ってた)。なんで、そんなことすんの?それは、教育をそんな感じにしておけば、国民がバカになって、政府が統治しやすいから。とにかく国民を受動的にしておけば、政府に反対する人間も、またそんなことを考える人間も居なくなる・・・
日本の「ゆとり教育」と重ね合わせて考えると、ちょっとばかし空恐ろしくなったりする。そういえば、うちの弟が今年めでたく高校に入ったんやけど、中学の卒業式で、先生が「君が代は、歌っても、歌わなくてもいい。それは、個人の意志に任せる」とか仰ったらしく、そら日本の中学生がそんなこと言われたら歌わへんわな。卒業式は終始異様な雰囲気に包まれたままだったらしい。とうとう、わが母校も日教組化しましたか?(笑)あ、これは関係ないか。でも、平たい意味での「個人主義」が日本に育ってるかってゆうと、そうでもないと思う。わかりません。実際。うちの中学のハナシだって聞き伝えでしかないからね。この辺、もっと勉強しなあかんとこやと思う。だれか、この辺、教育ということについて詳しいヒトがいらっしゃいましたらお話聴かせてください。さて、冗談抜きにして、ぼくは過去どちらかといえば(三島由紀夫の影響もあり(笑))けっこう右よりな人間でした、が、今はそうでもないと思います。右か、左か、それはもうどっちだっていいと思うし、ちょっと古いって気もする(笑)

改行。しかし、どこかの雑誌で読んだ、西洋的「個人」の概念と、純日本的「世間」の概念のダブルスタンダードという捉え方は納得できた(共立女子大学長、阿部謹也氏)著作権とか、大丈夫なんでしょうか?わからんつつ、まあいいか、もういっぱい書いてることやし(笑)
 日本には、明治以前には「自画像」の歴史が無かった、また、「個人」という言葉も明治17年まで存在していなかった。それは、日本人はもともと自分と他人を区別するという感覚が無かったからではないか、と考えられる。日本人にとって真に重要だったのは、周囲からどう見られているか、ということだった。それを如実に表すのが「世間」という言葉だ。
 これじゃあよくわからん、ということで、自分的に読み替えてみます。つまり、ある「集団」に属する「個人」を考えたとき、ヨーロッパにおいては「個人」が「集団」に先立つのに反して、伝統的日本の感覚では「集団」が「個人」に先立つ、ということじゃないでしょうか。ヨーロッパには、キリスト教における神との個人契約に始まり、デカルトにはじまる理性主義(理性崇拝、というのは語弊があるでしょうか)、やがて市民革命へとつながる、ロマン主義時代の「基本的人権」の思想と、長い時間をかけて成熟した「個人」の概念がある。一方、日本には、長く続いた「サムライ文化」が培った「滅私奉公」私事を滅して公に奉げる考え方がある。この辺、新渡戸稲造著『武士道』を参照なので、ちょっとナショナリズムきついですが、それを差し引いて考えれば、決して間違ったことが書いてあるとは思わない。さて、前にも書いたとおもうけど、この文章は日清戦争後、日露戦争前という時期に書かれた。この時代、どんどん西洋の文化が入ってくるも(大正デモクラシーとか、有名やなぁ)結局ラディカルなナショナリズムが体勢を占めた。その根底には、もちろん国民が「国家神道」を叩き込まれたということもあるんだろうけど、同時に、日本人の根底に「滅私奉公」を美徳とする感覚があったということも否定できない。
 第二次大戦後、日本人はナショナリズムの反動で、極度にそれを嫌うようになった、が、長い時間が培った「世間」の感覚は未だ現代に息づいている。だから、近所への見栄で息子に英才教育を施そうとするバカ親がいて、そして彼らは自分達が根底では「世間」を相手にして生きているということに気づかずに(気付いてるのだが、知らないふりをして)息子の「個性」を旗印に、せっせと教育に励む。
 さて、同時に、息子の方でも、自分がダブルスタンダードの中に生きているということに気付いていない(少なくともぼくは気付いていなかった)だから、やれ塾だ、やれ勉強だにうんざりしてくれば、こんどは自分の「個性」をたてにとり「好きで生まれてきたんじゃないわ!」と啖呵を切る(笑)。思うに、日本人は、「個性」という、(日本人にとっては)歴史の浅い言葉の、自分の都合のいいところだけを理解して使うんやと思います。多分、そのいい一例になるのが、かの池田の8人殺しで、被害に遭わなかった子の親の一人が「ライバルが減ってよかった」とのたまった、その一言だと思います。この発言で一番重要だと思うのは、「非常識や!」とか、そうゆうことじゃなく、いや、そうゆうことやな、とにかく何が「常識」なん?てゆう問題なんやから。
 もとい。
一番重要なのは、少なくともそのヒトの中で、「個人」と「世間」のダブルスタンダードのうち、「個人」の表面的なところ(エゴイズムというよりミーイズム)が突出し、そして伝統的「世間」の感覚が崩れかかっている、ということだと思う。さて、そしてそれは日本人全体に言えることでもあると思う。日本は、揺れ動いている。いまさら武士道に戻れったってそうはいかないし、でも最近の17歳の『なんでヒトを殺したらあかんの?』という素朴な問いかけに答えうる強力な何かを持っているとも思えない。・・・・ここからは、またいつも通り、考えるところです。

一つ、うちのヒトもこれを見ると思うので、言っておきますが、うん、ぼくは今は、精神的に健康です。過去、一時期、上記のようなバカ息子であったことは、白状する以前にバレてるとは思いますが・・・・

 

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