ルーマニア旅行の話(07年2月末)

 3月のアタマに日本に帰ろうと思っていたのだけれど、怒涛の仕事量によりあえなく却下。いずれにしてもある程度休みを消化しなくちゃならんので、ルーマニアに行ってきた。

 なんでルーマニアなん?と問われるとアレなんやけど、友達がルーマニアの片田舎で「若きアーティストの集い」をやるから来てギター弾かへん?と出動要請があったため、だ。で、どうせ行くんなら、普通に観光してもええやんかーと思って。

 前回パリでもそうだけど、今回物凄く活用したのがhospitality club。このサイトに登録して、例えばブカレストに行く時にブカレスト在住のメンバーに連絡をとって、メシ食いに行ったり、飲みに行ったり、泊めてもらったりできる。今回は特にいろんな所でこのサイトのメンバーにお世話になった。この場を借りてお礼申し上げます(日本語話者は居なかったか、いずれにしても)

 ルーマニアって、どこにあるんや・・?とか、ルーマニアには、何があるんや・・・?とか、いろんな質問があったけど、すいません、ぼく、ルーマニアについて何も知りませんでしたわ。wikiペディアでルーマニアを勉強!

 

 とりあえず地図、見てください。まずは首都ブカレスト(Bucharest)に着いて2晩過ごし、ちょっと独りになりたくなったのでブラショフ(Brazov)に電車で移動。一晩ひどいホテルに泊まって、次の日にブラショフからバスで30分くらいのとこにあるSt.Gheorghe(これ、今だになんて発音すんのかわからん・・)に向かいます。ここが今回の最終目的地。ここでひどい2晩を過ごして、再びブカレスト。一泊して、次の日の便でドイツに帰ります。

1.ブカレスト

ぼくは非常にいい印象を持った。1989年の革命以来、まだあちこちで建物の改築をやってるところなんだけど、人々は、特に若い世代はとても活気があって、hospitality clubを通じて知り合ったアディアは、「10年後にもう一度、ここに来て。とっても素敵な町に生まれ変わっているから。」と、多分、5回ぐらい言ってた。そういえば、ルーマニアはぼくにとってはじめての旧共産主義圏の国。ぼくは始終、ミラン・クンデラが描く共産主義国家のイメージを思い出しながら町を歩いた。もちろん、共産時代の痕跡は、そこかしこに残る。

     

 ブカレストはメキシコの匂いがする。満員の市内循環バスや、落書きや、そういったものに、ぼくはパリの北駅周辺で感じたのと近い匂いを感じる。そこには何か共通のものがある。何だろう?フランクフルトやデュッセルドルフには無い匂い。ぼくはそれを「猥雑さ」と表現するだろう。ぼくは、つまるところ、その匂いを辿ってうろうろしてるのかもしれない。

 ぼくは、もちろん、同じ世代、もしくは少し若い世代の人と一緒に過ごしたのだけれど、89年当時に一定期間働いていた年代、つまり今の40代半ば以降の人々には、「不平をこぼす」という癖が染み付いているらしい。バスに乗っていると、やれもっと前に詰めろだの、何だのという愚痴をたくさん聞いた(もちろん、ルーマニア語なので、アディアが翻訳してくれたんだけど)アディアはこの「共産党世代」を嫌悪しているらしい。そらそうや。若い世代から見て、仕事はしない、愚痴は言う、そんな年配の人を見ると傲慢にも嫌悪感を抱いてしまうのは仕方無いと思う。ぼくにもぎりぎり、そんな若さが残ってるしね。・・・いずれにしても、環境は、大きく人を変える。ブカレストの若い世代と年配の世代を比較して、改めてそう思った。

 

2.ルーマニア人

 じゃあ、"若い世代"のルーマニア人はどんな感じなんだろうか?

 時間にルーズなところ、計画性が無いところは、本当にメキシコ人を彷彿とさせた。アディアと待ち合わせの時間を決める。約束の5分前に、「ごめん、ちょっと遅れる」のメール。20分後に「あと5分で着くから!」のメール。彼女の到着は、それからさらに20分後。この、最後の、「あと5分!」て言ってから20分も引っ張るっていうのが、なんていうか、とてもラテン系な感じがしてなんとも微笑ましい。(少なくともアディアは、この時間感覚はルーマニア人にしか通用しないことを認識してて、着いた時、ひたすら謝ってたことは付記しておきます)

 hospitalityに溢れるというのも、言える、但し、ここはメキシコ人と違うところで、平たく言えば"人見知り"をするのだと思う。最初の方は、無関心を装うとか、極めてニュートラルに対応するとか。慣れてくると、物凄い面倒見てくれる。メキシコ人は人見知りなんて皆無だけどたまに薄っぺらいし、ドイツ人はよい人間関係に入るまでが大変だけど、入ってしまえば長く付き合える。だから、その間って感じかなぁ?ラテン系の国だけど、まるっきりラテン系でもない(=表面的にはちょっと冷たい)というのは、1週間を通じて感じた。

 女の子は、すごい可愛い!これはかなりポイント高し(笑)後ほど登場するカルロス君も「ルーマニアの女の子はフランス人より可愛い・・・」って言ってました。ぼく、フランスレポートで、「フランスの女の子はドイツ人より可愛い・・・」って言いましたっけ?つまり、

ルーマニアの女の子>フランスの女の子>ドイツの女の子

 という構図が成り立つ。・・・しまった!来る国間違えた!(笑) ルーマニアの女の子はラテン系らしく黒髪、黒い瞳、背は少し低めで、目はぱっちりしてる。特徴的なのが、鼻筋がとても綺麗に通っている点。鼻筋がきれいだと、身体の線全体が綺麗に見えるんよね。あと、肌年齢も、欧州人にしては意外と若い。

 ちょっと話ずれるけど、人間の美的特徴って、なんで人によってこんな違うんやろ?て思う。上の構図見る限りでは、ドイツ人の男の子、とっても可愛そう(笑)まぁ一般的な話、恋愛は見た目だけじゃないんだろうけどさ。ドイツ人の男の子って、ドイツ人の女の子に満足してるんやろか?やっぱりルーマニア人の方が可愛いって思うんやろか?カルロスのコメントを考える限り、そう想像する。一般的市場原理から考えると、ルーマニアはEUに入ったし、男の子/女の子の需給関係も均一化されるのだろうか?・・まぁ、経済活動すら地理的要因に阻害されて今のところそんなに均一化されてないしね・・・でも、誰かが、EU域内お見合いサイトとかつくるかもね。

 さて、女の子の話はこれくらいにして、次は男の子。外見は、あんまりぱっとしない(気がする)んやけど、手が早い!これには驚いた。初めて会った女の子に、5分で肩に手を廻し、髪の毛を撫で・・とか平気でしよる。メキシコ人でもこんなアグレッシブなアプローチはしないよ・・・。もちろん、女の子の方でもそれをよしとする文化が成り立ってるんやろな。そうでないと説明つかん。外見、ほんま、適当やねんて。いろいろ飾り立てるわけでもなくて、素朴で・・・そして、その素早いアプローチも、非常にさりげなく、滑らか。彼ら、学校で何習ってるんやろ?2次方程式の代わりに女の子の口説き方勉強してるとしか思えんわ。ただ、そのアグレッシブさは、知的好奇心の方にも出てると感じた。例えば音楽にしても、音楽的にすごい興味深いことをやってるし。(詳しくは6.「場」の温度、を参照)

 あと特筆しておくべきことは、トランシルバニア地方(ブラショフやSt.Gheorgheがあるとこ)には、ここが昔オーストリア・ハンガリー帝国領だったこともあり、ハンガリー人が多く住んでる。何が起こるかというと、ブカレストから来た(ルーマニア語を話す)ルーマニア人が、St.Gheorghe在住の(ハンガリー語を話す)ルーマニア国籍のハンガリー人と、英語でしか意思疎通できないという事態になる。ブカレストーSt.Gheorghe間は電車で4-5時間、物理的には決して遠くないんだけど、歴史的な壁がとても高い。ルーマニア国内でハンガリー人はマイノリティ、だから当然、差別/被差別の鬱陶しい事などもある。

注;ルーマニア人についてのサンプリング数は、ええと・・・7か8ぐらい。しかも、アーティスト肌の人々に偏ってる。だから、上記コメントは、あんまり精度よくないかも・・・。なお、この項目では「・・・・人」というのをひとつの漠然としたステレオタイプとして捉えて話をしているので、誤解の無いように。森を見て木を無視することがあってはならないが、木ばかり見てるうちに森の中で迷子になるのも良くない、という事です。わかりますよね、はい。

 

3.カルロス

 ブラショフで、とてもいい出会いがあった。カルロス、とぼくは呼ぶけれど、彼は24歳のフランス人で、ルーマニアには写真を撮りに来たのだという。銀行からお金が引き出せなくて無一文で困ってたところに、たまたまカモになりそうな日本人(笑)が通りかかったので、声を掛けてみた、というのがきっかけで、ぼくらは町をうろうろして、おいしいコーヒーの店で話をした(これ、また余談になるけど、ルーマニアではなかなか美味しいコーヒーが飲めないと思った。なんか、全体的に、薄いねんな。エスプレッソが濃く出てない。豆の問題なんかな?)

 パリで哲学を専攻していて、ニーチェが好きで、ダダが好きで、トリスタン・ツァラの生誕地を追いかけてここまで来た、とか言われたら・・・それに、スペイン留学してた時のルームメイトがメキシコ人やったから、メキシコスペイン語を習得した、とか言われたら・・・それはもうこの男の子を好きにならざるを得ないよ(笑)彼はクールで、チャーミングで、果敢で、荒野を一人で駆け抜ける自由と強さを持ってる。ぼくはその意志の意味を深く理解するからこそ、惹かれるのだと思う。年下に負けるのかくやしいというのもある(笑)

 旅をする。人と出逢う。そんな単純なことが、これほど印象的に思える、そんな出会いだった。少なくとも、ぼくにとってはね。・・あ、ちなみに、彼とは性交渉はありませんでした。残念!ネタにならんかった!

 

4.ピーター

 St Gheorghe在住の"ハンガリー系ルーマニア人"、ピーター。彼とは後述するジャムセッションで知り合った。音楽と、演劇と、新体操に凄く濃密な時間を過ごす男の子。彼がつぎ込んだ濃密な時間、それを伺わせる音楽の技術と深い言葉に、ぼくは久々にはっとさせられた。ぼくは、心の中で、絶対に、「パリは芸術都市やから、やっぱりトップレベル。ルーマニアなんて田舎やから、B級やろな」と思ってた。絶対に。そんな、本来ならぼくが一番に嫌悪するような大都市礼賛主義というか、なんというか、そんな思考に気づいて、愕然とする。誰が、どのような権威を持って、東京発のバンドが奈良発のバンドよりも絶対的に優れていると言えるんだろうか?違う。ある一個の存在がいかに濃密な時間を過ごしてきたか、評価基準はそこに尽きる。彼はぼくにそれを思い出させてくれた。彼のために、2007年は音楽の年にしようと思う。もう4分の1過ぎてしもたけど(笑)

 

5.アディア

 アディアはぼくのブカレスト滞在時のホストで、ブカレストのいろんな隠れた場所(カフェや、ナイトクラブ)に連れて行ってくれた。彼女の底抜けの明るさ、身軽さ、思いやりの深さは賞賛に値する。多分、ぼくは彼女に会うためだけに、もう一度ブカレストを訪れることも厭わないだろう。魅力的な魂の色。ルーマニア滞在の最終日、ルーマニアの男の子の手の早さを見習ってアプローチしてみたのだけれど、耳にキスするところまでであえなく却下→撃沈。(27歳にもなって、何やってんのぼくは・・・(笑))それでも帰りがけに"you didn't think you can get rid of me so easily, did you?"という言葉をくれる子。この捨て台詞には参った。全く気の利いた名台詞。

 

6.「場」の温度

 一番上で書いたとおり、「若きアーティストの集い」への出動要請がルーマニア来訪のきっかけやった。当日の午後3時、会場に到着したら、会場はこんな感じ。

ちなみに、展示会オープンは午後6時。・・・全然用意できとらんやないか!まぁ相手ルーマニア人やし、ちょっと予想してたけど。さらに驚きは、アーティストの一人、ボッティの発言;

「うちの庭に、土取りに行くの、手伝って?」

上の写真で、会場の真ん中に木材を組み合わせて、なんか作ってるでしょう?あれは箱で、ボッティはその箱を土で一杯にしたいらしい。まぁぼくも暇やったし、他のルーマニア人と一緒に、彼の家の庭に向かった。ちなみに当日、現地気温はマイナス3-4度。地面は思いっきり凍ってる。とりあえず始めたけど、大変・・・ていうか、何が悲しくてルーマニアくんだりで畑仕事せなあかんねん。

  

「ていうか、どれくらいの土が必要なん?」との質問に対しボッティは「そうね、20袋くらい。」ちなみにその時、時刻は午後5時。何度も言うけど、オープンは午後6時。はじめて、ルーマニア人の計画性の無さは恐ろしいと思った。イヤ、計画性が無いの、ボッティだけじゃないんだって!ピーターもそう!朝方4時ぐらいまでナイトクラブで、それから彼の家に帰ってきて、彼は「うちのおかん、ヒステリックやから、静かにね。」と5回ぐらいぼくに念を押して、で、玄関に着いてから、彼、急にそわそわしだして。「どうしたん?」て訊くと、「・・・・玄関の鍵、クラブに忘れてきた・・・」。結局朝の4時に自宅の呼び鈴を鳴らして、鬼の形相のおかんに玄関を開けてもらった。おかん、こんな息子ですいません。

音楽の部は、こんな風に、楽器を弾く人がわらわら集まってきて、6時間ぐらいノンストップでセッションやってるの。凄い面白かった(風邪ひいて、体調がもぅひどい状態やったのが惜しまれるけど・・)今まで、セッションなんてやったことなかったから・・・ブルース的になったら適当にハープで参戦して、とか、してたんやけど、ここには、確かに、コミュニケーションがあった。ピーターが言ってた。「誰かが主題を提供して、別の誰かがそれにつき従う。それを基本にして、そこから何が引き出せるか。」・・・もちろん、音楽的にどんな凄い事をやったって訳でもないんだけど、凄い楽しかった。ある意味、コミュニケーションとしての音楽の純粋な形がこれなんかな?と思った。

 世界の果てで、ジャムセッション。アフターダーク。それは言いすぎか。

 聴きたい?何がなんだかわからんかもしれへんけど! 1 2 3 4 5 6 (データ量大きいんで、一定期間を過ぎると削除されます。あしからず。)

 あ、でも、お題は「場の温度」やった。「場の重力」と言ってもいいのかもしれない。おもしろいことやったろうと考えている人が、集まる。そこには場の力が形成される。この「場」というのは、とても重要な要素なのだと思う。例えば、ぼくはこの6時間のセッションで、一人なら2-3年かかりそうな事を全部引き出した気がする。あ、まぁ、これは感覚的な話やけど。その場には、鋭敏な感覚と、温度ある言葉と、俊敏な頭脳、それらをひっくるめた濃密な時間が流れる。それは、大好きな人と凄く濃密な時間を過ごすことに似ている。(恋する者は眠らない(ロベルト・シュナイダー『眠りの兄弟』 、もしくはハイメ・サビーネス『恋人たち』

 

7.まとめ

 今回のルーマニア旅行のキーワードはやっぱり「人」やな。上記の人々との出会いもそうやけど、一人で居る時、いつも、大好きな人の事を考えてた。去り行く人の事を考えてた。世界の果てで、その稀有な関係性の意味、ぼくの意味、彼女の意味について考えてた。・・・この国で、ぼくは、あなたを、再発見した、とまでは言えないけれど、やっぱり貴重な時間だったと思う。あなたに全然関係の無い場所で、関係の無い人と出会って、なお、ぼくはあなたに出会えてよかったと言えるのだから。

 ひひ、どうしてもラブレターになってしまうわ・・・ぼくはいくつになっても変わらんね、って自分で言うことじゃないか。

 さて、次は、どこへ行こうか?