「天空の城ラピュタについて」その他多数の宮崎作品についてのレポート、というより殴り書き


 最近日本語に触れる機会も少ないので、旧い記憶を引っ張り出しては結びつけ・・・ということをやっています。偶然ミヤザキ作品について話をする機会があったので、そのとき考えたことを忘れないうちに書いておこうと思いまして。

 『天空の城ラピュタ』大好きです。手放しに「好き」だったのが、最近ちょっとばかし深く考えるようになりまして。以前、スウィフト作『ガリバー旅行記』を読んで、偶然にも「ラピュタ」に出会いました。有名なのはガリバーが「小人の国」へたどり着く話ですが、じつはそれは彼の長い(ほんまにうっとおしいくらい長い)旅の第一章に過ぎなくて、彼はその後「巨人の国」「日本」(!)「ヤフーの棲む国」(!!)などなど、様々な国を旅します。(わからへんけど、かの有名なインターネット検索エンジン「YAHOO!」の語源がここにあったりしたら、おもしろいんやけどなあ)
 さて、彼が何回目かに辿り着くのが、空中浮遊都市「ラピュタ」なのです。ちゃんと、浮いてました。丁寧に地図までついてました。常に憶測で申し訳ないんですが(まあ今は確かめるすべもないんすけど)多分、原点はここにあると見ていい。「浮遊城」「ラピュタ」このふたつの一致点より、さらに興味深い内容がまだありまして。
 『ガリバー旅行記』は、「風刺小説」なのです。一見当り障りの無い空想小説のように見えるし、そう読んでも楽しめると思うけど、注解を読んでいくと、これは恐ろしい。すべての文、それぞれになんらかの風刺を含んでいる、といっても過言ではない。あの有名な小人の国のハナシだって(なんの風刺やったか覚えてないけど)きっつい風刺を含んどる。「ヤフー」は、「イギリス人」の風刺やったっけ?どういう描写がしてあるかは各自本文に当たって頂くことにして、肝心の「ラピュタ」は何を風刺しているのか?これは、ニュートンをはじめとする「自然科学」を風刺しているのです。
 ここに、『天空の城ラピュタ』と『ガリバー旅行記』の一致点がある。宮崎駿の描く『ラピュタ』は、なぜ滅んだのか?科学信仰に頼り、大地をさえ浮遊させてしまう人間の傲慢・・・それをシータは知っている。ムスカという人物は、科学信仰を再び復活させ、それを握る自らが神になろうと意図する。ムスカ=MOSCA=蝿。この公式が正しければ、モスカは正に「科学信仰に群がる蝿」ということになる。しかしシータは、ラピュタの王座が、実は墓場であることをも見抜いている、つまり、「神は死んだ」ことを知っている。

 こんな感じっすかね。今思いついたんやけど、仲間の「死骸」に花を添える「ロボット」を、どう解釈すればいいんでしょうか。さらに思いついた。オクタビオパスのエッセイで「科学は人間を機械化する」という一節があった(詳しくは『異端的性衝動vol.4』5、現代に「愛」はあるのか?を参照)。「俺たちはロボットぢゃねえ!」てゆうことでしょうか。

 今日友達と喋ってて、ミヤザキ作品の新たな魅力を再発見。ぼくが思うに、多くの作品中に「(地面スレスレを)飛んでいくイメージ」が含まれている。例えば『ラピュタ』では、シータを助けに行くときにパズーやら女海賊のおばちゃんやらが乗る、あのハエみたいな乗り物。『風の谷のナウシカ』なら、ナウシカが乗る、メーヴェ。『紅の豚』での、飛空挺のイメージ。『魔女の宅急便』じゃもちろん「魔女子さん」が箒に乗って飛ぶ。『トトロ』の猫バス。『もののけ姫』の山狗。とりあえずおぼえてるの全部出してみた。友達の話では『未来少年コナン』というのも出てきた。
 これらの「飛んでいくイメージ」は、ぼくの中に根強く残っている。さらに、輪をかけてそのイメージを強くしたのは、ちっちゃい頃に観た『ネバーエンディングストーリー』のファルコンですね。あの映画はぼくの読書癖にも影響を与えたと思われる、だって、本を開いたら本の世界に入って、「ファールコ〜ン!!」て呼んだら飛んでくるねんで?おかんのハナシでは、映画のあと、ぼくとにいちゃんのふたりで庭に出てファルコンを呼んでいたらしい(笑)可愛い頃もあったもんだ。

いまんとこ、こんなかんじですかね。

 


 06年5月12日

「ドーラ」のキャラクターは、山崎まさよしをも虜にするらしい、つまり、『Fat mama』。

Fat mama はまさにドーラに捧げられる。太っていて、醜く、但し力強く、全てを飲み込み、チャーミング。なんとかしてその魅力の秘密に迫りたいもんだ。

お詫びと訂正;05年12月

昨日久々にラピュタ観たら、中でちゃんと『ガリバー旅行記』について言及してました。ごめんなさい。 でもパズーは「あれ(ガリバー旅行記に登場するラピュタ)はフィクションに過ぎない」と言い切る。なんでだろう?

まぁなんやかんや言いながら、やはりドーラ(空賊のお頭)のキャラクターにいちばん惹かれる。出てくるキャラの中でいちばん鋭く一貫性があり、正当な存在。そして人間臭い。当然、恐ろしくチャーミング。ぼくの中では、彼女のキャラは女性性のひとつの完成された形として映る。(『もののけ姫』の姉さんは個人的には微妙。ムスカの論理を半分引き継いでるし、美しすぎて笑えない)
最近引越ししている中で、くそ重い洗濯機を運ぶのを(ええって言ってるのにむりやり)助けてくれたロシア人のおばちゃんと、10月から正式にぼくの上司になったお方が、本当に申し訳無いが、ぼくの中ではいちばんドーラに近いキャラクターとして位置付けられている。もちろん、ポジティブな意味で。

少し話がずれた。ドーラの論理は、(最終的にムスカと同じ土俵で議論するシータ/パズーと異なり)ムスカの論理とは全く別の次元を行く。ドーラがムスカを嫌うのは、論理的というより生理的であり、その科学信仰よりもむしろ趣味の悪い色メガネのせいである(と勝手に解釈してますが)。