4月22日:
 朝も暗いうちから起きだし、グアダラハラ行きのバスに乗るために北方面バスターミナルへ行った。メキシコへ来てから、ぼくの時計は一時間早く進んでいたらしく、すぐに乗れると思ってたら一時間待ちだった。バスを待つ間に、なんやかんやといろんなヒトに取り囲まれ、El Chileはニホンゴでなんて言うのか、とか、タバコを一本くれ、とか、てんやわんやだった。日本人がそんなにめずらしいんかなあ?とにかく、こういうタバコのとられ方なら全然ダイジョブなんやけどなあ。
 7時半発のバスに乗った。340ペソってゆうのが高いんか安いんかよくわからんかったけど、バスはテレビ・エアコン着きのいいやつだった。(基本的に、ぼくは1ペソを10円強、1ドルを10ペソ強で考えてる。これはちょっと甘い勘定になるかもしれへんけど、暗算苦手やからね。)さて、バスに揺られて7時間、グアダラハラに着いた。シティでは1泊33ドルのいいとこに居てたので、ホストのうちに行くまでの1週間、安いとこにすることにした。メルカード近くの、Mexico 70。1泊130ペソ。うーん、こんなもんでしょうか。安宿初体験のぼくとしては、殆どカルチャーショック(古い?)ですね。電球とか、「辛うじてついてる」という感じ。
 実は、メキシコシティの空気の悪さに閉口して、ここに逃げてきたんやけど、ここも結構きついね。これも慣れでしょうか?奈良はともかくとしても、大阪で、こんな空気の悪さを感じたことはなかったのに・・・うちの相方も、東京で同じように感じてるんやろか?
 メルカードにて、ご飯を食べる。あるメキシコ紀行文に「グアダラハラには美人が多い」と書いてあったけど(笑)そうゆうもんやろか?うーん、通りでは比較的若い子が目立つ。美人と感じるか、否か・・審美眼の違いでしょうか(笑)
 とりあえず、だらだらしててもしょうがないので、勉強をはじめようと思う。昨日ホストのおかんに電話したら、ぼくが送ったいくらかの本は無事に届いているということだった。うーむよかった。あれがないと始まらないのだ。今、とにかくオクタビオ・パスの詩が読みたい。日本語訳を読んでてもちんぷんかんぷんやったし、だからってスペイン語やったらもっとわからんやろうけど、パスさんも言ってるように、詩というものは既に、単純な意思の伝達手段というものからはかけ離れたところにある。「意味」としてだけでなく、「語感」・・音が連れてくるイメージを感じたい(カッコいい!)。
 ベタな比較になるけれど、「シュルレアリスム」と「魔術的レアリスム」の比較もしてみたい。T先生は「時間概念のズレ」と仰っていたけど、実のところはっきりわかってません。ただ、どこかで読んだ「魔術的レアリスムは、シュルレアリスムのように人工的に驚異的なものを作り出さなくても、日常そのものの中にある驚異を自然な形で引き出してやればよかった」(多分、こんな感じ)という記述にはうなずける。何度も引っ張り出すけど、ガルシア=マルケスが描き出す不思議空間(という表現がぴったり!)は、とても自然に読者を驚異的なものへと導く。
 考えたいのは、両者ともに、いわゆる「現実的なもの」からの逃避、あるいは、「もうひとつの現実」の提示をしようと試みる点だ。シュルレアリスト達は、それを「必要としていた」。じゃあ、ガルシア=マルケスは?あと、キューバにも居たなあ・・名前、なんだっけ?思い出せないわ。

4月23日;
 30日から行く予定の学校を探しにいった(大してやることもなく)しかし・・なかなか見つからない。二時間くらい歩いて、やっと見つけた。大学の友達で、夏過ぎからここに来てるR・・とT・・に久しぶりに逢い、いろいろ喋った。どうも、メキシコでインターネットにつなぐとなると、日本みたいに公衆電話から・・・というわけにはいかないらしい。だから、この文章が読まれるのはもう少し先のことになりそうです。
 彼らが終わる予定の、またぼくが始める予定の学校(CEPE)についての悪口(笑)もたくさん聞いた。まず、ここはかなり高い。そして、ぼくがお世話になる予定のステイ先はここからかなり遠いらしい。さらに、大学付属とは名ばかりで、ほとんど独立した機関だという。ありゃりゃ。それじゃ、やりたいことやれへんなあ・・・まあ、とりあえず様子をみながら一ヶ月くらいはやろうと思う。
 グアダラハラ大学とは別にグアダラハラ自治大学というのがあって、そっちは本科のキャンパス内に留学生別科があって、よろしいらしい。そのへん、もう少し詳しく聞くことにする。で、で、電話線を引っ張るのはけっこう安いみたいなので、ステイ先を出たら、ちゃんとインターネットできる環境をつくる。それが、当面の計画。

4月24日;
 今日もまたCEPEに来る。バスできたはずやのに、昨日と同じくらい時間がかかってしもた。うーんまだよくわからんわ。さて、今、自治大学(Autonoma)の図書館に居る。さっきK・・に連れられて詩の授業に出てみたんやけど、どうにもこうにも・・・ほとんどお喋りで終わってしまった。そして、わからん。うーん・・・しかし、ここはたくさん本があっていい(読むことが可能かどうかは別として)いろいろ調べられそう。でも、ちょっと遠いかな?ああ、今日は荷物を軽くしようとして、ある程度のものはホテルに置いてきたままだったよ。今頃になって心配になってきた。チップも置いてきてないから、怒って金目のもの(そんなにないけど)持っていかれるかも・・・と、考え出すと、ぼくは小心者なので、きついのです(笑)既に、手紙を書くこともおぼつかなくなってるのです。お部屋掃除のねえちゃん、お願いします。明日はたんとチップをはずむから、今日のところはどうか・・・広角レンズと、書き溜めた手紙の入った小さいカバンだけは、見逃してくださいな。
 横でR・・が勉強してるので、ぼくももうちょっとこれを書くことにしよう。うーん、よし、じゃあ今日は「異文化に触れる」について。ここんとこ三島由紀夫『葉隠入門』を読み返してたので、その影響もあるのだろうが、今日思ったこと。『星の巡礼』では、「言葉の通じないところを旅するとき、人は他人に頼らずに生きてはいけない。旅人はまるで幼児のように、無防備で、また、見るもの全てを新鮮に感じる」うん、多分、このようなことを書いてあったと思う。さて、この「無防備であること」と「新鮮に感じるということ」は、実は同じコトだと思うのです。無防備であるから、新鮮に感じる。というのは言い換えれば、自分の過去が役に立たないから、訪れるべくして訪れるそれぞれの瞬間を普段よりも強烈に感じる、ということでしょうか。まあ、ここまでは、わかる。
 さて、ここに『葉隠』的なものを加えてみます。すると、自己を無防備であると感じることは、とっても大袈裟な表現をすると「‘死’の領域が増大していることを感じる」ということを意味する。平たく言えば、海外旅行をしてよくあること、「日本とは勝手が違うからね。マジで。ちょっとうさんくさい通りに迷い込んでしまってさ、怖かったよ」ということなんですけどね。自分の場所が不安定であるということが、普段・・・日常的に忘れ去られている(もしくは、目を逸らされている)‘死’というものを体感させることになると思うのです。その感覚は普通、象徴的な形をもって捉えられる(うさんくさい通り、夜、落書き、悪徳警官、目つきの悪い若者等)これらについて感じる恐怖は全て、根源的には‘死’と結びついている。
 現代社会というものが、人間の‘生’を保障はしても、‘死’についてはなんら保障してくれない(というのは、これ、『葉隠入門』の受け売りですが)、なぜならこの社会は「生きること」を前提に成り立っているからなのです。しかし、フロイトは、人間にはエロスと同時にタナトス(死の衝動)があると言いました。現代人の‘死’への衝動は、どうやって満たされているのか?それが端的にでているのが、お化け屋敷や、ホラー映画の類いです。人は、なぜかそれらを好む(男の子の不純な動機は別として!(笑))それは、日常では‘死’に向かう衝動が満たされないため、擬似的にもそれを満たし、そこから逆に自己の‘生’を再認識するためなんだと思います。
 しかし、『黒い家』や『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は私達に(イヤ少なくともぼくには)多大な恐怖を与えてはくれるけど、それはどこまでも擬似的なものでしかない。時間が経てば恐怖は薄れ、また新たなフィクションを求める。・・・ところが、「異文化に触れる」ということは、これ、かな〜りリアルな事件です。ぼくの周りで起こること(サスペンスも、ラブロマンスも)は、スクリーンの反対側ではなく、こちら側で繰り広げられる。つまり、より強力な、忘れがたい刺激が加えられることになる。そしてそれは、精神にとっての健康をもたらす・・・?

 三島さんは、「死を意識の表へ連れ出すということこそ、精神衛生の大切な要素」だと言っています。そして「旅をする」「異文化に触れる」ということはその一つにあてはまると思うのです。ここから、「旅は人を成長させる」という、極めて楽観的な意見(ぼくはこうゆう意見は嫌いですが)の本質的なところ・・・実際、そうなる可能性は高い・・・が窺えます。ただ、そこから「成長するために旅をする」という言葉を引っ張り出すのは行き過ぎだと思う。あくまで、異文化理解。「異文化理解なくして自文化理解はありえない」というのはひとつの名言。

 今日はたくさんの友達に会った。T・・やI・・なんて、ここに来てるってしらんかったから、Autonomaの図書館前でタバコ吸ってたらいきなり現れてびっくりしたよ。I・・にはスペインでお世話になったね。重ねてありがとうさん。・・・ホームステイのへこみ話をいろいろ聞いた。うーん。ぼくもへこむんやろか。この不安・・・これは、どこから出てくる?これも、‘死’への恐怖と、同じくらいの期待だろうか・・?
 友達の家でパソコン接続させてもらった。さんきゅう。メールをみて、ホームページをひとしきり更新。まま、ぼちぼち行きましょう。

4月25日;『腹痛が怖くてタコスが食えるか!』
 みんなに話を聞いてると、それぞれ一回は、多分、食べ物で、ヒットしている。ぼくは幸いなことに、まだない。しかし、怖い。正露丸なんて全く効かないらしいし。でも、そろそろこの暑さにも慣れてきて、食欲も出てきた。「あー、タコスをたくさん!」ということで、荷車みたいなのに載せて売っているやつを買って食べた。・・・うーむ。精神的なものもあるんやろか?最初はあんまりタコス美味しいとは思わなかったんだけど(うちの相方がつくった小麦粉タコスはおいしかったよ)今日食べたのは、良かった。4つも食べた。で、部屋に戻って窓を開けると、スペインへ行った時に流行ってた曲、Cafe Quijanoの‘La Lola’が流れてる・・・!この曲、大好き。♪Se llama Lola y tiene historia〜♪バスに乗れば、バス代の代わりにアカペラで歌うヒトがいる。ドラムセットを持ってきて、歩道でラテンリズムを刻むヒトがいる。・・うん、これかもしれないなあ。
 2時頃、再びおなかがすいたので、Mercadoへなにか食べるものを探しにいく。相変わらずタコスを食べたんやけど、おいしかった。ソーセージを肉で巻いて、煮込んであるねん。何て言ったか・・チャパレテって言ってたような気がする。あと、agua de jamaicaというのがあって、名前につられて飲んでみたけど、あんまりおいしくなかった。
 今日のホテル管理人のManuelはなんやかんやと喋ってきくれて、面白かった。きついな、スペイン語。しかも、英語まじり。英語でくると英語で返しそうになるけど、出てくるのはスペイン語・・・頭の中がくちゃくちゃになるっちゅうねん・・・。明日の朝、一緒にメシ食いに行くということになった。彼のおかんはかなりニホンゴを喋れるらしい、そしてなんとグアダラハラには神道のヒトがたくさんいるらしい・・・ほんまですか?それはおもろい。で、おかんは神道やのにおとんは仏教やからぶつかることがある、と。う、うーん。9割カトリックの国にも、例外はある、ということか。信仰ってなんですか?(笑)
 echoもそのうち底を尽くので、そろそろ新しいタバコを開拓しようと思い、スーパーでひとつ買った。「RALEIGH」というやつ。大きさ、ミリ数ともにechoによく似てる。Manuelは「それはあかん。マルボロにしときや」て言ったけど、そんなん日本でも買えるし、どうせやったらおいしいやつを発見しておみやげにもって帰りたいし。でも、今日は失敗(涙)。


4月26日;『ああ、メキシコ的時間・・・』
 メキシコに来てはじめて、「メキシコ的時間」というものを体験した。話には聞いてたけど、噂に違わずすばらしい(笑)今日は、朝ごはんをManuelと食べる約束をしてたので、10時頃にホテルのカウンターまで出てきた、が、一向に来る気配が、無い。R・・は「30分遅れはまだ普通」と言ってたので、とりあえず1時間ばかり待ってはみたが、しかし、来ない。とにかくお腹が空いてたので、近くのタコス売りのおっちゃんのとこで先に食べてしまった。ええと、lengua(舌)と、chicharron(豚肉)chicharron seco(豚肉をカラカラに揚げたやつ)higado(レバー)。レングアとチチャロンはいけてた。レバーはいまいち。
 と、ひととおり食べて、いい感じの調子になったところでManuel登場(笑)「10時って言ってたよなあ?」て言っても、「イヤ11時やで」と、平然としている。ああ、メキシコ的時間。あなたの時間概念をぼくは賞賛します・・(笑)とにかく、カバーニャス文化機関ていったか、そこに行った。グアダラハラ生まれのオロスコという壁画家の作品が、そこにある。・・・うーん、もう3回くらい来たいところやね。この天井画が・・すごい。「hombre de fuego」まさに「炎の人」。『地球の歩き方』に、これはオロスコが「理性」と「情熱」の融合として描いた、と書いてあった。うーん・・ニーチェ的に読み替えると、「アポロ的なもの」と「ディオニュソス的なもの」の融合だろうか・・と思いながらみていると、隣でガイドのヒトが「イカロスが・・プロメテウスが・・・」と喋っているのが聴こえた。お、これはおもしろい。もしオロスコが、ギリシャ神話をある程度想定してこの壁画を描いたとしたら・・そしてその到達点としての「炎の人」だとしたら・・?また、「グアダラハラには日本人が多い」ことの証明に、ここには盆栽が飾ってあった(しかも齢30年以上の大物!!)なんでここに神道や仏教が多い・・?天理教は来てないのか?(笑)
 途中で、サトウキビのジュースを飲む。青汁を雨水で溶いたような(笑)色をしてるけど、けっこうあっさりしてて、うまい。でも、ぼくはさっき、タコスをある程度食べたとこだったので、きつかった(笑)結局、砂糖になるやつやからね。そして、「これは食っとかなあかんで!」と言われた「torta ahogada」(直訳:窒息したトルタ(嘘))を食べる。ぼくは辛いのあかんから、チリソースは殆どかけなかったけれど、それでもかなり辛かった。うーん。パンの腹に肉を詰めて、チリソースをぶわあっとかけて食べる、という感じ。またそのうち写真にとるよ。うまかった。食後、Manuelにニホンゴを教える。ホテルに泊まりに来る客用に憶えとくみたいやな。おお、勉強熱心。
 なぜか時計をしきりに気にするので訊いてみると「1時から仕事」らしい・・てゆうか今もう2時やんか!ぼくら余裕で観光して、eメールして、メシくってたで?ということで、帰ってきました。なかなか、こういう時間概念がアリな社会というのは・・すばらしい(笑)

4月27日;『もう一週間か・・・』
 今日は朝からスペイン語の勉強&ギターを弾く。Cafe Quijanoの曲を二曲だけ弾けるようになった。ああ、ゴハンは相変わらずタコス。メルカードのよりも、ホテル近くの道端でやってるやつがうまいの。ほんとに。絶妙。豚肉とか、毛が残ってたりもするけど(笑)気にしない。おおきくなくて、ひとくちサイズ。で、薄いトルティージャを二枚重ねて、その中に具を入れるのだ。野菜もたくさん食べるのだ。ううん、絶妙。
 部屋に帰ろうと思ってたら、マヌエルにつかまった(笑)彼と喋ると下ネタばっかりになるから・・困るわア(笑)ニホンゴとスペイン語を教えあって・・時間は過ぎてった。今日は、ここに泊まる最後の日。宣伝でもしとこうか(笑)ええと、グアダラハラ、Mercado Libertadのほぼ向かい。前の通りはうるさいけど、マヌエルはもう既に「スキナオンガクハナンデスカ?」まで喋れるので問題ない。うさんくさ英語もよく知ってる。部屋もいい。お湯がでるし、ゴキブリは一度しか見なかったし、掃除のねえちゃんもうさんくさくない(警戒はしてたけど、結局なんにもとられなかったよ)MEXICO70をよろしく。そうそう、偶然にも、部屋の番号が「222」だった。でも、灰皿もないのには驚いた・・向かいのスーパーにも売ってない。管理人のにいちゃんに訊いたら「床に捨てといたらいい」って。うーむ、あとで掃除してもらうとはいえ、なんかなあ・・・それでも、しばしの間、床いっぱいに灰を撒き散らす開放感に浸ってました(笑)さて、やりかけた勉強を仕上げてしまおう。
 

4月28日;
 朝からホテルを出る。多分、当分食べられない、おっちゃんのタコス(涙)今日はpapas con bistek(ジャガイモと牛肉を煮込んだもの)が新しく加わっていて、おまけしてくれた。うん。うまい。帰りにはまた食べよう。夕方から友達のライブを見る。こんなとこに来てまでやるとは・・そのアグレッシヴさに脱帽(笑)ライブ(やることも、みることも)からかなり遠く離ていた。ここで久しぶりにその空気と、未だぼくをそこへ向かわせるなにかの熱風を感じた。「ぼくはなぜ・・・?」やりたいこと、やるべきこと。ビールに酔う。
4月29日;
 ステイ先に到着。M・・と同じ家だった・・こんちくしょう、隠してたな(笑)久しぶりにパソコンを開く。空気はいい。静かでいい(MEXICO70は恐ろしくうるさかった・・・)学校までバスで15分。それもいい。定住派であることが判明したぼくとしては、ここに居を据えてぼちぼち行こうというところです。うーん、ここ何日か、遊びすぎた。
4月30日;
 CEPEへ行って、テストを受ける。日本人は居なかった。ううん・・いい感じ。でも、また授業が始まったらいっぱいいるんやろなあ・・・自分がうまく自分を演じているとは思わないが、それでも演じるということを意識するときは憂鬱になるものだ。自分がより善く在るために(というのは、道徳的にではなく)ぼくは自分にも、他人にも「ハッタリ」を効かせる。例えば「エセインテリ」と自ら言ってしまうように。ぼくが言うことは「ハッタリ」でいい・・ほんの少しでも、真実が含まれているなら。ぼくは常に自分自身を演じている・・・他者に対しても、自己に対しても。時に卑屈になり、時に自分に酔いながらも。そのなかで、「真実味のあるハッタリ」は、特別な存在感をもつようになる。「ハッタリ」が、「演じる主体」であるとするなら、これは・・・自分が、世界が、漠然としたものであるということを再認識するだけ?いや、そうでもない。そこには悲劇的なものは無い。いまにも噴出しそうな、そんな笑いがそこにはないだろうか?・・・とにかく、今のぼくを動かしているのは、「オクタビオ・パスについて勉強する!」という、大いなる「ハッタリ」だ(笑)

 

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