5月のほりうち氏。

5月1日;
 数人の友達とめしくいに行った。ポソレ。て、なんかわからんけど、スープやな。鶏肉と、でかいとうもろこしが入ってて・・うまい。うーん。これを一緒に行動した友達が読む、となると、書きにくいわ(笑)一人のときなら自分のおもったこと、ただただ書けるのに。まあ、ぼちぼちいこう。写真は、食べ終わったポソレ(笑)と、揺れるバスの中。揺れてるでしょお?残りは、ステイ先のぼくのへや。うーん。ポップでキッチュ(意味不明)。定住生活者と判明したぼくは、授業はまだ始まってませんが、多分この部屋にこもってなにかゴソゴソやるような生活になるでしょう。それじゃあ不健康かな?と思うので、腕立て伏せくらいはやるようにします。
 今日、シュルレアリスムに関する本を一冊読み終えて、まあ内容は殆ど事項の整理みたいなものだったんだけど、面白かった。シュルレアリスムにとってメキシコの地は面白い。ディエゴ・リベラの嫁さん、フリーダ・カーロは(今日買ったテレカに、彼女の絵が描いてあった!)ブルトンやその他シュルレアリストと交際があり、絵を出展する為にパリへ行ったり(でも、彼らの衒学趣味にはうんざりだったみたい)ブルトンはトロツキー支持を表明してたりするし。それらは、いまのところ、タダの事項に過ぎないけど、こういったことを考えながら作品に当たっていくの、ぼくは大好きですね。うーむ。やっぱりメキシコシティに居てる間に、いろんな美術館を廻っておくんだった・・まあ、それはまた、今度にしよう。
 古本屋で、ガルシア=ロルカの詩集と、カルデロンの作品を発見。古本(かなり古い)でもけっこう高かったけど、まあ新品で買うのも大変なので買っておいた。メキシコは、本が高い。昨日買ったオクタビオ・パスの詩集なんて、78ペソもした(ん?そんなもんか?)しかし、彼はノーベル賞受賞者のハズなのに、なかなか置いてない。ぼくはこの詩集を3〜4軒廻ってやっと見つけた。これは、売れない〜置かない〜買わない〜高いの悪循環か?とにかくこの本の無さには参る。
 あとは・・電話線を引っ張って、やな。就職活動なあ・・・みんな、やってんの?やっぱり?就職に関してはぼくはまだ中途半端なテンションなので、なんとも言えないのですが、やる気はあります。試験内容とか、お願いね?情報提供して下さった方にはもれなくメキシコ産フィルター無しの安煙草(約50円)をプレゼント(笑)・・・「Delicado」てゆう銘柄なんやけど、うまいよ、けっこう。ただ身体にはかなり悪いやろけどね(笑)

5月2日;
 授業が始まって、ようやくぼくの生活も落ち着いてきたかな?やらなきゃならないことがはっきりしてくるというか、なんというか・・・自分の語学力の無さはわかってたことやけどな(笑)
5月4日;
 T・・が言ってた通り、アメリカ人は果敢にも(?)殆どしらないぼくを踊りに行こうと誘う、ぼくは一度そんな「アメリカ的寛容さ」を経験しておこうと(ほんとは、お気に入りの子がいた(笑))ついて行った。アメリカ人の中にぼくが混じると「滑稽」ていうのでしょうか、そういった表現が一番よく似合う。ぼくは英語わからんし、ぼくがよく喋る子は(もちろん、ぼくも)スペイン語がわからん。コトバがわからんて、頭イタイことやな・・・改めてそう思った。そして、コトバがついていかないから、ぼくは動きや仕草に頼る・・・自然と、ぼくは自分を過剰に演出している。・・・ほんまに疲れた(笑)。
5月10日;『今日はママの日』
 最近日記を書いてなかったなあ・・・と思いつつ。時々、ふっと、「ぼくなにやってるんやろ」と、不思議に滑稽に思えるときがある。そんなときは、(自称『創作活動』は)なんにもやる気にならなくて、なにをやっても笑われそうで、困る。ここ数日間、そんなかんじだった。ホームページをつくる目的てなんやろ?うたをつくる意味は?詩を書く理由は?思考がそこへいってしまうと、なにも手につかなくなる。とにかく、行為に対する思想、自己正当化を必要とする。いままでにそんな瞬間は幾度も経験したけど、その度にぼくは自分は自分ではない、ぼくはぼく以外の何者かだ、という理屈によって(つまり、道化ることによって)正当化したようにおもいこんだ。今はもう、それはできない。結局、過去のように道化て見せる必要もない(というよりもむしろ、面倒くさくて)快適な孤独生活、内的生活を守る。・・・・これはこれで、病的なコトなんじゃないか?日本に居たときと、殆ど変わらない、学校へ行き、本を読み、タバコを吸う毎日。休みの日にも、これといって出かけるあてもない。

・・・対人関係を考えるとき、ぼくがとるであろうふたつのタイプ。「道化者」か、「隠遁者」か。ここ最近はすっかり後者が身についてしまって、いまさら「道化て」見せるのも億劫に感じるようになってしまった。イヤ正直に言えば、ぼくはそれなりに上手く「道化て」いる、と錯覚していた、が、実は結構見破られているのがわかり、ショックだったんすよね(笑)他者に対する幻滅、他者の幻想に対する幻滅、自己の幻想に対する幻滅。そして、ぼくは内的生活に没頭した。・・・でも、ぼくは根源的に「孤独」を求めるのとおなじくらい、「共感」をも求めている。それはわかってる。しかし、過去に逆行することはできないんだ。偽の「道化者」によって得られるのはまやかしの共感でしかないということはもうわかっている、真の「道化者」でしか共感へ至ることはできない・・・
 ぼくは其処へ至るために、技術としての「道化」すら利用することを考えた。今、自分が持っている最高のものをぶつけているか・・?飛行機のなかで、三度目の『葉隠入門』を読んだ。今、その内容を思い返す。・・・ぼくは、余力を残して、いる。不確かな未来ばかりを、見ている。そして、自己正当化を完成させることなく、不如意な生活を送ってはいないか・・?
 「道化者」か「隠遁者」か。「共感」か「孤独」か。この光の向こう側に、ぼくはいつも問い掛ける、「だれかいる?」と。ぼくが偽の道化者で、そして隠遁者であったとき、ぼくはその向こう側には「誰も居ない」ことを信じていた。今は・・・違う。「誰かが居る」ことを信じている。それは信仰でしかないのかもしれない、なぜならこの光はまぶしすぎて、その向こう側を確かめることはできないからだ。
 「道化者」か、「隠遁者」か。しかしそのどちらもぼくを意味しているんだ。つまり答えを見出せるのは「道化者の意志」と「隠遁者の哲学」の、(妥協点ではない)止揚点。(混合ではなく)融合。彼ら両者を同時に肯定できるポイント・・・そこにある。うん、よし、いい感じだ。ヒゲ剃らないのは、こだわりというより、めんどくさいからです。剃ったら、生えてくる。また剃らなきゃならぬ。・・・じゃあ、剃らんかったら、もう剃る必要はない・・!まさにコロンブスの卵(笑)この人相では、帰ったとき関空で必要以上にチェックされそうだわ(笑)

5月14日;『今日はギターの日。』
 今日、centroに用事があったのでバスに乗っていたら、ギターを持った兄ちゃんが乗ってきて歌いだした。普段なら下手くそなので聞かないんだけど、今日の人は珍しく上手で、歌も上手くて、曲もよかったので、このヒトを師匠と仰ごうかと(笑)思い、声を掛けてみた。自分でテープとかつくってるらしい。うーむ、そういうところもぼく好み。金曜日にどっかのカフェでライブやるんやって。行く?

5月15日;『今日もギターの日。』
 学校で、クラスの友達(ていっても名前も知らない子なんだが)の誕生日、ぼくは例の如く歌いました。ぼくの中で音楽の領域はスペインへ行った頃とは形を変えて存在していて、それは限定されていつつも、未だにかなりの力をもってそこにあった。・・・とにかく、「うたいたいからうたうねん!」という自己満足、そういう立場に自分をおくという態度は、いまのぼくにはまだ難しい。じゃあ、どういう態度?ぼくにとって音楽、とは?

5月17日;『詩の授業』
 大学のほうで、S・・が詩の授業をとっていて、最近オクタビオ・パスをやっているらしいので、受けさせていただいた。さて、最近語学ばっかりでうーんと思っていたところなので、来週、ぼくも勝手にレポート提出しようと思った。しかし・・単語力のなさに情けなくなってしまう(涙)わからんなあ・・・

5月18日;『よかった。』
 この前バスで知り合ったギタリスト、ルイスのライブが、とあるカフェで開かれました。ぼくは、ほんの数時間前にはじめて会ったY・・となんやかんや喋りながら見てました。感想?よかったよ。て、何を言ってもベタな表現になってしまうけど。もし許可が得られたら、彼の曲もHPにのっけようと思ってます。一言でいえば、「自由」ですかね。ギターに縛られない、うた概念に縛られない自由さを彼は持っていた。あと、詩が理解できればいいんだけどなあ・・・とにかく、ギター教えてもらいます。ありがとうさん。
 そうそう、今日、やっと、電話線がつながりましたよ。かなあり苦労した。めちゃめちゃメールがたまってて、読むのに一苦労でしたよ。ああ、しかし最近日記を書くこともサボってるなあ・・・正直、なんかめんどくさくなってきた(笑)いやいや。そんなこと言わずに、ぼちぼちいきましょうさ。

 

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