グアナファトにいってきた。


メキシコに来て四ヶ月、いまだにメキシコシティとグアダラハラしか知らないというのもどうかと思い、旅行をすることにした。とりあえず、グアナファトという、植民地時代的小都市に訪れた。でも、ここまで書きだしてこれを言うのはどうかとも思うんやけど、ぼくは元々旅行が好きではないらしい。それに加えて考えていることがあると、もうまったく「旅」が楽しめないという、なんとも定住派です。まあいいや。典型的日本人の如くに写真はたくさんとったので、それを載っけてみよう。



・・・メキシコ的都会生活に慣れたのであまり意識してなかったけど、やっぱりグアダラハラは大きい町なんだなあと思った。グアナファトはちいさい。とても小さい。でも静かないい町でした。住む分にはとてもいいんでしょうな。


食べ物は基本的にはおんなじやったけど、微妙に違ってた。豚肉をつかったトルタ(グアダラハラでは一般にロンチェと呼ばれてる)が沢山売られてた。一番最後に食べたトルタは最高にまずかった。


人々は、グアダラハラに比べて少し落ち着いてるようにも思った。


しかし小さな町なので、観光でくるなら3日あれば十分だと思いますわ。ぼくは一週間くらい居てるつもりやってんけど、三日目の朝にはもうやることがなくなったので、帰ってきた。

 

 



しかしものすごい町や。中心街がちょうど谷の底あたりにあって、谷の壁面が人家で埋め尽くされている、という感じ。家と家との間に無数の階段があって、どこまでも終わらない。町の造りはちょっとポルトガルのリスボンに似てるとおもった。後者は港町ですけど。


でも、今回の旅行で、ぼくは基本的に旅行は好きな方じゃない、というのがはっきりした。早めに気付いといてよかった。


まあ、別にわるくはないねんけど、どうも、なにか地元にやり残したことがあるような気がして(今回の場合実際そうやから特に)すわり心地が悪い。



あ、でもミイラ博物館には行きました。ほんまにこれでもか的に骨と皮の遺体が並べられてて、怖かった。いろんなイミで。メキシコ人の子供はなんでこうゆうのを見て泣かないんだろか?大笑いしてるねん。日本人やったら泣くんと違う?ううん、ここにメキシコ人の「死」の観念が少し見えたような気もする。

 

博物館でも写真は撮ったけど、ここには載せないことにします。多分日本的には「公序良俗に反する」と思うから。





しかし台風が近づいていたせいもあって、天気がうさんくさかった。空が曇ってるときは、心まで曇ってしまうもんやね(笑)


いかんなこのペースでは、どうもグアナファトに対して悪印象やな。イヤとてもいい町だと思いますよ。


ほんまに。


「Callejon del beso」てゆう、建物と建物の間の恐ろしく細い小道がある。そこを通るときは、男の子は女の子にキスできるらしいねんけど、それはグアダラハラに帰ってきてからはじめて知った。ううん・・・残念。



ミイラ博物館のハナシに戻るけど、あの建物の中に渦巻いていた「死」の観念は、どうにも”緊張感に欠ける”というか、少し喜劇的ですらあるとおもう。うまくいえないんだけど・・・・確かにミイラは恐ろしい。多分50体を超えるくらいの、まさに「死体の山」が延々と続いていて、ある人(と呼んでいいんやろか?)は口を大きく開け、別の人の目は眼球が干からびて干しぶどうみたいになってて・・・でもそれが恐ろしさ(この感情がどこからくるのかはわからないけど)を掻き立たせるものでは必ずしもなく、それよりもむしろ「うーん・・・お疲れさんやね。」てゆう感じやねん。・・・わかる?


空気が乾燥してるから、彼らが眠っているガラスケースも密閉されてるわけではなく、逆にガラスの一部が切り取られ、通気口になっている・・・ということは、ミイラが吸う空気を、ぼくも吸う、ということやな。誇張して言えば。でも、そんなに「気持ち悪い」わけではない。悪臭もしない。

この「季候」は、メキシコ人の精神の土台に深くかかわっていると思う(まあどこの民族でも同じコトやとおもうけど)。ハナシによると、グアナファトでは土に埋めさえすれば、死体は7日でミイラになる、という(出所不明)少なくともこの博物館の中で、メキシコ人の「死」は乾いている、やや、もっと言えば、”彼らは死を喜劇的に捉える”。


例えば、フランスのシュルレアリスム大王アンドレ・ブルトンが第二次世界大戦を逃れメキシコに亡命してきた。彼の来訪を歓迎して、メキシコ人は彼をプルケリア(プルケという先住民的醗酵酒を飲ませる店)に連れて行った。みんなで乾杯してる最中に別のテーブルでケンカが始まり、ひとりがナイフで刺されて死んだ。そうしたら周りの人間は;
「こいつ死んだん?・・・ほんまや。ジャマやから店の外に出しとこう。」
で、みんなで死体を担ぎ出し、テーブルに戻り、再び飲み始めた。


ちょっとハナシは逸れるけど、亡命中のブルトンにまつわる、もうひとつの逸話。
彼は、仕事の為に机がひとつ必要なので、家具屋に頼んで造ってもらうことにした。彼はある程度の図を描いて家具屋に渡した。数日後、出来上がったのを見てみると、机の脚の長さがそれぞれ全然違っている、つまり、机にならない。そりゃ怒る。家具屋、ブルトンに答えて曰く;
「あたしゃこの図のとおりに採寸してつくったんでさあ。
 旦那が描いたこの図のとおりに・・・ほれ、この手前の脚はこの長さで、奥の方のはもっと短いでしょうが。」
彼は遠近法というものを全く理解していなかったらしい。
(出所/文学の授業におけるリカルドの小噺)


ブルトンはしかしこんなメキシコをおおいに気に入って、「メキシコはとってもシュルレアリスム的」とまで言うに至る。


多分、ヨーロッパ的な「死」の観念の象徴はペストのような、もしくは(特にスペインの)血まみれのキリスト像のような「おどろおどろしいもの」とでも言おうか、そんなものだと思う。もちろん、メキシコはカトリックの国だし、スペインに見られるような像はいたるところで見かけられる、しかしもうミイラ博物館は問題外だと思うのです。キリスト教徒の墓を暴いて、服をはいで陳列し、カネを取るってのは見世物小屋以外の何物でもないだろ。それ、死者に対する冒涜とかにはならんのか?よくわからんけど。・・いや、ならないと思う。少なくともあの博物館の中には、宗教は呼吸をしていない、その中で人々が持つのは純粋な「好奇心」のみだ(と、ぼくはその場に居合わせた旅行者たちの目を思い浮かべながら書く)。・・・ううん、シュルレアリスム的とブルトンが呟くのも少しわかる気がする。


さて、じゃあ「日本的『死』の観念はどんな感じ?」という疑問がわいてくる。でも、それはまた今度。


注:旅に出るときは、歯ブラシわすれたらあかんで

2回目のグアナファト